「ほ……惚れ薬?」
「そうよ、惚れ薬。より正確に言うなら、惚れ薬と惚れられ薬、ね」

怪しげなお茶の思いがけない正体を知らされてきょとんとしてしまった瞬に、沙織が得意顔で補足説明を始める。
「この薬の画期的なところはね、そこいらへんで出回っている催淫剤やバイアグラ等の勃起障害治療薬なんかとは違って、欲望の対象を限定できるところなの。惚れ薬と惚れられ薬が対になっているのよ。惚れられ薬を飲んだ人間は、惚れ薬を飲んだ相手にだけ感じられるフェロモンを発するようになって、惚れ薬を飲んだ人間は、そのフェロモン反応して欲情するの。これこそまさに、人類が太古の昔から憧れ求め続けた真の惚れ薬なのよっ !! 」

「…………」
「…………」
勝ち誇ったような沙織の口調と勢いにあっけにとられ、とりあえず、氷河と瞬は言葉を失った。
二人はまだ、自分たちが今どういう状況に追い込まれているのかを、今ひとつ正確に把握しきれていなかったのである。
故に、沙織に対してどういう反応を示せばいいのかもわかっていなかった。

「それは、つまり、人間の意思を操ることのできる薬品ということですか? へたをすると人権問題になるのでは──」
唖然としている氷河と瞬の代わりに口を開いたのは紫龍だった。

「ええ、そうね。人権を侵害するような悪用もできるわね」
「沙織さん……」

あっさりと肯定してみせる沙織に、紫龍は目いっぱい脱力し、かつ怯え、かつ恐怖したのである。
どうやら今回、怪しげな薬の被験者に選ばれたのは氷河と瞬だけのようだったが、この先、同じような災いが我が身に降ってこないとは限らない。
紫龍としても、これは、対岸の火事と見過ごすことのできる事態ではなかった。

「では、この薬は、クローン開発並みに倫理上の問題を含んでいるもの──ということになるんじゃありませんか。こんなものを開発していることが外部に漏れたら、グラード財団が社会の糾弾を受けること必至です」
いたって真っ当な紫龍の諫言を、沙織はこれまた実にあっさりと切って捨てた。
「その心配は無用よ。一般に市販するつもりはないから。惚れ薬と惚れられ薬、それぞれ10ccで2億はくだらないわ。無論、その効き目が持続する時間も永遠ではなくて、数時間程度。それでも欲しいと言う人は限られているでしょうしね」

『限られている』ということは、つまり、『欲しがる者は存在する』ということである。
実際、そういう人間もいるのだろうと、紫龍は思った。

「量販するつもりがなくても、ほんの数人にでも、とにかく誰かに売るつもりでいるのなら、そこに人権問題が生じるのは確実でしょう。そんな薬品が存在すること自体に問題があるんです。確かに画期的な薬だとは思いますし、欲しがる者もいないではないでしょうが、当事者の人体・精神だけでなく、社会への影響を考えたら、そんなものは即座に廃棄するのが利口なやり方だ」

「そうね。この薬を使うことでどういう不都合が生じることになるか、現段階では何とも言えないとは思うわ。でも、動物実験ではそんなことまではわからないし、だから、購入希望者たちに商品を手渡す前に、人間で試してみることにしたのよ。良心的でしょ?」

自分の聖闘士たちを使っての人体実験に、沙織は全く罪悪感を抱いていないようだった。
画期的な力を持つ薬が発明されたら、次にはその効力の程を試すための実験を行なう──という流れは、彼女にとっては当然にして必然のことであるらしかった。






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