迷いに迷い抜いてから、氷河は、瞬の部屋に向かった。
そこにエサが用意されていることを知った上で瞬の許を訪れるのは、ひどく浅ましいことのような気がして躊躇しないでもなかったのだが、氷河はやはり瞬の身が心配だったのである。

瞬は、彼のベッドに腰をおろし、顔を伏せて、自分の手で自分の肩をきつく抱きしめていた。

「瞬……」
氷河に名を呼ばれた瞬が、びくりと大きく身体を震わせる。
瞬は氷河に『入ってくるな』とは言わなかったが、『側にきてくれ』とも言わなかった。
そのどちらを口にすればいいのかが、瞬自身にもわかっていなかったのだろう。
ただ、氷河がそこにいることに、瞬が怯えていることだけは事実のようだった。

「何もしない。何もしないから、そうびくつくな」
虐待を経験して人と接することを怯えている子供のような瞬を刺激しないよう、なるべく抑揚のない声で、氷河は瞬に告げた。
瞬の怯えは、それでも消える様子を見せない。
瞬が怖れているのは氷河ではなく、瞬自身なのだから、それは当然のことだったろう。
事態は、瞬が怪しい薬を飲まされる以前よりも悪くなっていた。

真っ赤になってびくびく震えている瞬の前で、氷河としても、何を言えばいいのか、どうすればいいのかがわからない。
氷河にできたのは、とりあえず、
「俺がいない方がいいか?」
と、瞬に尋ねることだけだった。

瞬が、伏せていた顔をあげ、氷河にすがるような視線を向けてくる。
しかし、だからといって、瞬は、氷河に側にいてほしいと求めることもしなかった。
仕方なく、氷河が、部屋を出ていこうとする。

「あ……あ……」
途端に瞬が大きく首を横に振り、まるでヘラに言葉を奪われたエコーのように喘いでみせる。

「俺が側にいた方がいいのか」
氷河が再度尋ねると、瞬は泣きそうな目をして、こくりと小さく頷いた。

自分の中にある矛盾に責め苛まれ、自分自身に怯えているような瞬の姿は、氷河の目にひどく痛々しいものに映った。
そんな瞬を救ってやれない自分に、苛立ちを覚える。
救えるのに救ってはならない・・・・──という二律背反に、誰よりも氷河自身が苛立っていた。

瞬が腰をおろしているベッドの脇に籐椅子を引いてきて、腰掛ける。
目の前にいる氷河に、瞬は幾度もちらちらと視線を走らせ、そのたびに瞬は、自分自身を抱く腕に力を込めていた。
瞬にこんな苦痛を強いることになるくらいなら、もっと早くに事に及んでおけばよかったと、氷河は今更ながらに後悔してしまったのである。

「瞬、苦しいのか」
なるべく瞬を刺激しないよう、努めて小さな声で尋ねると、瞬は、まるでしゃくりあげるようにして頷いた。
口を開くと何を口走ってしまうかわからない自分を、瞬は怖れているらしい。

氷河は、そんな瞬を見ていられなかった。
思い切って、瞬に提案してみる。
「あー……。あのな、こういうのはどうだ」
「……?」
「俺がおまえを楽にしてやる。俺は、自分のためには何もしない」

「ど……ういう……?」
それだけの声を発するのにも、瞬には相当の勇気が要るらしい。
氷河は、そんな瞬に触れずに、瞬を怯えさせないように、細心の注意を払って、言葉を継いだ。
「俺がおまえを楽にしてやる。俺は自分の満足や充足を求めない」
「あ……?」
「だからだな。俺がおまえをいい気持ちにしてやる。俺は服を脱がない」

そこまで言われてやっと、瞬は氷河の提案の意味を理解したらしい。
瞬は最初のうちは、眉根を寄せて、幾度もかぶりを横に振っていた。
だが──強力な薬の力は、容赦なく瞬を苛み続ける。

結局瞬は、最後には、氷河の前でこくりと項垂れるように頷いたのである。
そうしなければ、沙織が言っていたように、瞬は気が狂ってしまいそうだった。






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