「君は、君の仲間のいる場所に帰るべきだ」
言葉は穏やかなものだったが、その声音には、断固とした命令の響きがあった。
瞬ではない人間にそんなことを言われてしまった氷河が、ひどく不快になる。

「瞬がそれを望んでいるというのか」
「瞬? ああ、あの子はそんな名前だったな」
サガが、“昔”を懐かしむように、僅かに目を細める。
その眼差しは、だが、やがて、少しずつ冷徹な輝きを帯び始めた。

「もちろん、アンドロメダがそれを望んでいる。あの子は、君を見ているのが辛くて、君の姿を見ていたくないのだそうだ」
「……瞬が、はっきりと俺のことを思い出して、その上で帰れと、直接俺に言うのならまだしも──」
「思い出しても、同じことを言うだろう。アンドロメダは、私が責任をもって預かる。私は、君のために言っているんだ。帰りたまえ」
氷河の反駁など聞くつもりもないらしいサガは、氷河の言葉を遮って、再度氷河に命じた。

「…………」
瞬を、アンドロメダと呼ぶからには、彼はやはり双子座の黄金聖闘士だった男なのだろう。
彼は、死んだ者のはずだった。

いったい誰が──あるいは、何が──どんな力をもって、こんな悪趣味な悪戯をしたのだろう。
自分の師も──その“誰か”の悪戯の駒にされているのかもしれないという推察を為すことは、氷河には全く楽しいことではなかった。

「ひとりで帰る気はない。それよりも──」
それよりも、今の氷河には確かめたいことがあった。
瞬よりもはるかに明確で、多くの人間が目撃した双子座の聖闘士の死。
あれはいったい何だったのか、と。

「おまえは生きているのか、死んでいるのか──いや、生き返ったのか、死んでいるのか」
氷河は瞬の死を確かめていなかった。
だから、瞬の死を疑うことができる。
だが、双子座の黄金聖闘士は──氷河やアテナの目の前で、確かに死んだはずだったのだ。

「瞬は、おまえも鏡に映らないと言っていた。だから、おまえも死の世界の住人だと。だが、今のおまえは鏡に映っている。生きている俺よりも、はるかにはっきりと」
氷河に与えられた部屋の壁にある鏡は、エントランスホールのそれよりは二まわりも小ぶりなものだった。
その鏡に、光の加減もあるのだろうが、ほとんどぼやけた姿しか映していない氷河とは対照的に、サガは、自らの姿を明瞭な輪郭を描いて映し出していた。

「か……鏡がどうしたというのだ! 詰まらぬ話を持ち出すな!」
サガが、指摘した氷河も驚くほどの狼狽を見せる。
彼は急に激しく取り乱し、その口調もまた荒々しいものに変化した。
「この館を出れば、アンドロメダは消えてしまうんだ! それでもあの子をここから連れ出そうというのなら、貴様は、冥界の王よりも質の悪い死神だ!」

「なら、俺は永遠にここにいる」
「貴様はアテナの聖闘士だろう。アテナの聖闘士には、地上の平和を守るという、大層な使命があるそうじゃないか」

サガの嘲るような皮肉に、氷河は静かな自嘲で答えた。
「俺は出来の悪い聖闘士だから、アテナも諦めているさ。俺は、瞬のために世界を失うことには耐えられても、世界のために瞬を失うことには耐えられない」

この館にいるのは、どうやらアテナの聖闘士としての自覚と資格を有していない人間ばかりのようだった。
氷河の部屋の扉の向こうで、小さな音がする。
氷河のアテナの聖闘士失格宣言に困惑した、もうひとりのこの館の住人が、扉の前から駆け出したらしい。
それに気付いたサガは、忌々しげに片眉をひそめた。

「貴様の傲慢は、アンドロメダを苦しめるだけだ」
そう言い捨てて、サガは、生きている・・・・・聖闘士の前から急ぎ足で立ち去った。





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