氷河にとってどうしても許せない人間とは、自分以上に瞬に愛されている人間と、自分以上に瞬を愛している人間の存在だけだった。
瞬を傷付けた者でさえ、瞬以外の人間はどうでもいいという意識でいる氷河には、実は、サガを許すことはさほど難しいことではなかったのである。
そんなことには──瞬の涙に負けて、自らの怒りを消し去ることには──氷河は、悲しいかな、慣れてしまっていた。

「貴様は生きているのか」
それでも忌々しげな口調で、氷河は、鏡に映らなくなった男に尋ねた。

「──私の死は、十二宮で見ただろう」
サガが、低い声で答える。

「そうだったな」
氷河は、彼が死ぬ様を、その目で見ていた。
彼は、アテナの前で、自らの罪を悔い、死んでいった。

鏡に映る姿も映らない姿も、もはや信用できない。
そんな虚像より、自分自身の目で見たことを信じる方が、よほど容易で確実である。
容易で確実で──そして、辛いことだった。

「つまり、俺だけが──瞬と違う世界にいるというわけだ」
それを事実と認めることは。
「だが、それなら話は早い」
氷河は、あまり深くは考えなかった。
考えるまでもなく、そうするのが自然で当然のような気がしていた。

自らの小宇宙を、内側に向けて燃焼させる。
自分自身の凍気で自分自身を氷らせる──これは存外に綺麗な死に方かもしれないと、彼はそんなことだけをぼんやりと考えた。

「氷河、馬鹿なことはやめてっ」
氷河が何をしようとしているのかを察した瞬が、真っ青になって、氷河の腕にすがりつく。
「生きてて。氷河だけは生きてて!」

いくら瞬の涙に弱いと言っても、今度ばかりはそれに負けてしまうわけにはいかない。
瞬の望みよりも自分の意思を通したい時は、氷河にもあるのだ。

「おまえと同じところに行く」
「氷河は生きてなくちゃならないんだよっ!」
瞬の必死の懇願を、だが、氷河は、彼にしてはきっぱりと退けた。
「死んでも──死んだら、おまえを抱けるらしいじゃないか。楽しみだ」
「氷河……」

氷河の軽口に──瞬は、氷河がそれを本気で言っているのだと思いたくなかった──、瞬の叫びが悲鳴に変わる。
「駄目っ! どうして、氷河はいつもそうなの! どうしていつもそんなに簡単に生きることを手放そうとするの。星矢や紫龍が悲しむことを考えないの。生きたくて生きたくて、それでも死ぬしかなかった人たちの無念を考えないの! 氷河を生かすために命を捨てた人たちの気持ちを考えないのっ! そんなの、アテナの聖闘士失格なんだからっ!」

瞬の記憶がすっかり戻ってることを知ったアテナの聖闘士失格の男が、困ったように微笑する。
「おまえと同じ場所にいたいんだ」
「氷河……」

氷河にそう言われてしまった瞬は、ふいに泣きたくなった。
もう泣いているのに、それでもまだ泣き足りない。
なぜ泣きたいのかもわからないまま氷河を抱きしめ、瞬は、あの天秤宮でそうしたように、氷河の身体を温め始めた。
体温と、その小宇宙とで。

我が身を凍りつかせながら、氷河は、なぜ自分は瞬の小宇宙を感じることができるのだろうと、ふと現状を疑ったのである。

その時だった。
氷河の死を見過ごすべきか、おしとどめるべきなのかを迷い動けずにいたサガが、口を開いたのは。

「瞬、やめろっ! おまえまで死んでしまう!」
死んでいるはずの瞬に、彼はそう叫んだ。





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