突然闘いのためにではなく小宇宙を燃やし始めた二人の青銅聖闘士に呆れ驚いて、サガはそんな言葉を口走ってしまったのだろうと、最初、瞬は思った。
あるいは、それは、“死”の現象が外の世界と異なるこの館の中で、そういう言い方しかできなかった故の制止の言葉なのだと。

瞬の小宇宙を感じ取れることに疑念を覚えた氷河が、自裁のための小宇宙の燃焼を中断し、瞬は、自分でも意味のわからない笑みを作って、呟くように言った。
「僕はもう……死んでいるのに」

だが、サガは、微かに横に首を振って、その事実を瞬に告げたのである。
「おまえは生きている。記憶を消し去る薬を飲ませたと言ったろう。自分の記憶が曖昧になっているところに、おまえの仲間たちが、おまえの小宇宙を感じ取れなくなって混乱している最後の記憶の印象だけが強く残って、おまえは、自分が死んでしまったのだと思い込んだんだ。その上、私は、おまえの誤解を解こうとはしなかった。むしろ──」

むしろ、助長したのだ。
アテナの聖闘士の絶望する姿が見たくて。
絶望の果てに、アテナの聖闘士を名乗る者が何をするのかを知りたくて。
それは、今となっては到底、瞬に告白することはできない動機だった。

「でも、鏡……僕は、鏡に映らなくて、ここの館に来てから何も食べてなくて、眠らなくても平気で……」
でなかったら、瞬とて、記憶にない自分の死を信じたりはしなかった。
少なくとも、死を拒もうとしたはずである。
瞬は生きていたかったのだから。

「あれは……普通の鏡ではない。この館にある鏡はすべて照魔鏡だ」
「しょうまきょう?」
「人間の邪心だけを映す鏡だ。生死は無関係。あれが見、あれが映すのは、人の心の中にある邪心の影だけだ」

「そんなものが──」
そんな魔法の鏡が実際に存在するわけがない。
そう言おうとして、だが、瞬は、その言葉を飲み込んだ。
この館、この森は、起こるはずのないことが起こり、ありえないものが存在する空間だった。
ここでは、生と死の意味さえ不確かである。

「私に偽りの命を与えた者が、私が私の中の邪心を見て自己嫌悪するようにと、皮肉な戯れで、この館中にあれを置いたんだ。大抵の人間は、ぼんやりとした影だけが映る。おまえを連れてくるまでは、私の姿もほとんど映らなかった」
「…………」

鏡の中のサガの姿が、時に明瞭になり、時に消え去ったのは、では、人間の邪心を映すというその鏡が、彼の心の変化を感知してのことだったのだろうか。
死んだ者の身体を蘇らせる力を有する者なら、そんな鏡を持つことも、人間が飲食や睡眠を必要としない空間を作ることも可能なのかもしれない。
だが、そんな悪魔のような力を持つ者とは、いったいどういう存在なのだろう──?

「おまえをこの館に運び、鏡の前に立たせた時、おまえは照魔鏡に全く映らなかった。ほんの小さな陰りすら映らなかった」

その事実が、サガをどれほど驚かせたのか──が、氷河にはわかるような気がしたのである。
完全な善でいるために、自分の中の悪を第二の人格として自身から取り除くことまでした男に、それは奇跡としか言いようのないことだったろう。
自分のとんでもない誤解に、今更ながらに身体を震わせている瞬の肩を抱きながら、氷河は、かつては『神のような』とも評されていた黄金聖闘士を見やった。

そんな氷河に、サガが苦く力無い笑みを向ける。
「瞬は生きている。君が瞬の小宇宙を感じなくなったのは、私にかりそめの命を与えた者のせいだ。瞬の小宇宙が消えたのではなく、君が瞬の小宇宙を感じる力を奪われていたんだ。そして、私が瞬が死んでいると言い続けたのは──」

一瞬、サガが言葉を途切らせる。
少しの間をおいてから、サガは、すべてを諦めてしまったような声音で、低く告げた。

「私が瞬を手放したくなかったからだ。死んでいるのは私だけだ」





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