冥界の王の手が人間界に伸びつつあることを知らされ、瞬は仲間たちと共に、この死の国にやってきた。
氷河や紫龍たちと離れ離れになり、共にアケローン河を渡った星矢は、他ならぬ瞬の命によってコキュートスに落とされた。
そうして、ひとりきりになった瞬を迎えたのが、冥界の王ハーデスだった。
自分の身体と声とが大切な仲間を地獄の最下層に落とすように命じたことに呆然としていた瞬の前に、彼は突然自らの存在を示してきたのである。

彼は物理的な存在ではなく、強大な思念エネルギーの塊りとして瞬の前に現れた。
そして彼は、その圧倒的な力に身動きひとつできずにいる瞬に告げたのである。
この力の器として、その身体を冥界の王に差し出せと。

瞬は拒絶の言葉さえ口にできなかった。
なぜ彼が自分を選んだのかがわからない。
ハーデスも、瞬にくどくどしい説明を為すことはしなかった。
ただ彼は、呻き声ひとつ発せずにいる瞬に対して、神との合一は光栄なことであり、“善いこと”だと断じた。
瞬に否やを言わせるつもりはないようだった。


『これが初めての合一の経験なら、もはやおまえは人間として味わう快楽など快楽とも思えぬようになることだろう。存分に味わうがよい』
そう言って、ハーデスは瞬を彼の中に取り込んだ。
実際には、ハーデスが瞬の身体の中に入り込み、瞬の身体の自由を奪ったのだったが、瞬はハーデスの仕業を実際とは全く逆のことが為されたように感じたのである。

ハーデスに身体の自由を奪われた瞬は、だが、ハーデスが言うような最高の歓喜を味わうことはできなかった。
瞬はただ――気持ちが悪かった。
気持ちが悪くて、自分の意思を保とうとする力が弱まることはあったが、到底ハーデスの言うように彼に全てを委ねる気にはなれなかった。
だから瞬は、瞬のすべてを支配しようとする冥界の王への抵抗を続けたのである――いつまでも。





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