『自分の意思と身体を他人に委ねることの快さを、アンドロメダに思い出させてやれ』
氷河をその場に運んできたものが残していったのは、その言葉だけだった。
氷河は姿の見えない案内人の不親切に、少なからず憤ったのである。
アケローン河の傍にいたはずの自分が、何者かの力によって、いつのまにか冥界のかなり奥まった場所に移動させられたらしいことに氷河が気付いたのは、彼より先に冥界の河を渡ったはずの瞬の姿をその場に見い出した時だった。

そこは、何もない場所だった。
少し肌寒い薄闇の中に、ひとつだけ淡い光を放つものがある。
厚い羊毛のような敷き布の上に、瞬が横たわっていた。
「瞬!」

まさか死んでいるのでは――という氷河の不安は、瞬の頬に触れた手から伝わる温かさが吹き飛ばしてくれた。
見知らぬ場所、敵の只中、その意図を見せない敵。
氷河を取り巻いているものは、あまり有難くないものばかりだったが、それが何だというのだろう。
生きている瞬が、目の前にいる。
それだけで氷河の気掛かりは、9割方払拭されてしまっていた。

「氷河……? どうしてここに」
氷河に抱き起こされた瞬が、まだ少し意識が明瞭になっていない様子で、氷河に問いかけてくる。
瞬の記憶、瞬の思考力にも支障は生じていない。
氷河は今度こそ完全に安堵した。
そして、瞬が身に着けていた大仰な長衣の裾をつまみ、
「俺のヘッドパーツも大概ギャグだが、瞬、おまえ、なんて格好をしてるんだ」
と言った。

呑気としか言いようのない氷河の口調に、瞬は少々脱力してしまったのである。
重く沈んでいた気分が少し楽になり、瞬は――瞬もまた、氷河が生きて自分の傍にいることに安堵した。
「氷河……!」
「熱烈な歓迎は嬉しいが、事情を説明してくれ」

瞬に抱きつかれた氷河の声には、危機感が全くない。
それが、今の瞬には救いだった。





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