「で、ハーデスの目的は、結局――」
「汚れた地上を粛清することみたい」
「神というのは揃いも揃って同じことしか考えられないのか。独創性がない」
馬鹿にしたように言葉を吐き出してから、氷河は、
「いや、多少の独創性はあるか」
と呟いた。

ハーデスの独創性。
それは、つまり、地上の粛清と人類の滅亡というありふれた目的を、瞬の身体を用いて行おうとしていること、だった。
権力財力を有することを主眼に置いて自らの器を選んだアテナやポセイドンに比べれば、冥界の王ははるかに良い趣味の持ち主のようだ――と、氷河は思った。
その“良い趣味”も、この場合は傍迷惑の極みだったが。

「ということは、ハーデスが俺をここに運んだ目的は――」
「わかるの?」
「やはり、俺とおまえにこういうことをさせるためだろうな」
少しは気が利くところもあるようだと独りごちてから、あろうことか氷河は、瞬の身体を包んでいる大仰な長衣の裾を割って、その手を瞬の内腿の間へと忍び込ませた。

何もない空間――そこには出口もなかった――に唯一あるものは、ベッドの代わりに使えと言わんばかりの敷き布ひとつ――と瞬だけである。
それをさせるためのお膳立てとしか、(氷河には)思えなかったのだ。

「氷河……! こんなとこで……」
危機感がないのにも程がある。
瞬は、頬を朱の色に染めて、氷河を叱咤した。
――彼の手を払いのけることはしなかったが。

「ハーデスがどこかで見てるかもしれない……!」
「おそらくそうだろうな。そのために俺を呼んだんだろうし」
「だったら……」
罠と知りつつ、自らその中に飛び込む必要はないではないか。
こんな場面を用意して、それでハーデスがどんな益を得るのかは、瞬には見当もつかなかったが、それは、ハーデスに敵対する者たちに不利になる結果をもたらすことであるに違いないのだ。

「人間でないものに見られてもどうとも思わん」
氷河のその言葉が大嘘だということを、瞬は知っていた。
瞬が知っている氷河は、“人間”に見られても平気の平左で自分のしたいことを優先させようとする、困った男だった。

「――氷河のね、その強靭な精神力と羞恥心のなさには、いつもながら感嘆するけど、でも氷河、今は――んっ……」
瞬の説得を、氷河の指が遮る。
得意の横座りをしていた瞬の脚は、瞬の意思に反して、自分から氷河の指が入り込む隙間を作り始めていた。

「しないでいると、するまで放っておかれるぞ。多分、何年でも。神の時間というものは、人間のそれより悠長に流れているものらしいからな。知っているか。ヒンドゥー教の神話で、ブリグ仙という爺さんがシヴァ神のところに出掛けていったら、シヴァはちょうど妻のパールヴァティーとアレの真っ最中でな、ブリグ仙はそれが終わるのをしばらく待っていたんだが、なかなか終わらないんで怒って帰ってしまったんだ。ブリグ仙の待っていた“しばらく”というのが、人間界の数百年、数千年と言われている」

氷河の持ち出した話に、瞬は、本気で嫌な予感を覚えることになってしまったのである。
「氷河、何か考えてる? 普通の……まともなこと。ここから逃げ出す方法とか」
「おまえとこれをすれば、今の膠着状態が動き始めることだけはわかる」
「…………」

瞬の予想通り、氷河は建設的なことは全く考えていないらしい。
思わず瞬の唇から溜め息が漏れる。
それは、氷河の唇によって飲み込まれてしまった。
いくらなんでも こういう状況でそれはまずいだろうと、瞬は、氷河の唇から真面目に逃げようとした――のだが。

「へたをすると、これが最後のセックスだぞ」
氷河に真顔で――それが、自分のしたいことに瞬を付き合わせるために作ったものだということは瞬にもわかっていたのだが――そう言われた途端、瞬の背筋を冷たいものが走り、瞬は氷河から逃げる代わりに、彼にしがみついてしまっていたのである。

そんなことは、考えたくない。
考えたくはなかったので、瞬はそうした。





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