忘れていた方が瞬は幸せでいられる――それは氷河にもわかっていた。 瞬があの悪夢を忘れてくれれば、瞬を愛している男も、素知らぬ顔をして瞬を愛し続けていられる。 すべてが元に戻り、昨日に戻る。それで何の不都合もない。 瞬に、あの悪夢を思い出させようとする行為は、自らの罪を白日のもとにさらけだすことであり、そうすることによって自分自身が良心の呵責から解放されようとすることでしかないのだ。 瞬のためというのなら、何もなかったことにすればいい。 なかったことにしなければならない――それはわかっていたのだ、氷河にも。 だが、それは本当に瞬のためになることなのだろうかと、氷河は疑わずにいられなかったのである。 そして、そんな瞬を、自分はこれまで通りに愛し続けることができるだろうか――と。 氷河が好きな瞬は、ほとんど理不尽にも思える不運と闘いをその身に受けとめ、受け入れ、乗り越えて、自らの不幸を嘆く前に 人を思い遣ることができるほどの強さや優しさを、その身に備えている瞬だった。 それが氷河の好きになった瞬だった。 このまま瞬が我が身に降りかかってきた悪夢を忘れることで 心の平穏を守ろうとするならば、それは氷河が好きになった瞬ではないのだ。 それはまた、瞬が瞬でなくなることを意味する。 そうなることは瞬にとって幸福なことであり得るだろうか――? 丸二日 考え抜いて、氷河は決意した。 瞬が瞬でいてくれるなら、自分が瞬に憎まれることなど、どれほどのことだろう。 瞬が瞬でいてくれるなら、耐えられないつらさなど、この世には存在しない。するはずがない。 それが、氷河の辿り着いた結論だった。 だから、あの惨劇が行なわれた部屋に赴き、氷河は意を決して、瞬に告げたのである。 「思い出してくれ。俺がおまえに何をしたか。そして、俺を憎んでくれ」 ――と。 「氷河?」 「俺がおまえに憎まれていることは知っている。だが、おまえがすべてをなかったことにしてしまったら、俺は俺の手で本来のおまえを殺してしまうことになる」 深刻な顔をして 氷河は突然何を言い出したのかと、瞬は仲間の言葉に首をかしげたのである。 氷河の語る言葉のほとんどが、瞬には理解できないものだった。 「憎まれて――って、氷河、何を言っているの? 僕は氷河が好きだよ」 言ってしまってから、瞬は僅かに頬を染めた。 そして、慌てて その瞼を伏せる。 「あの……変な意味じゃなく……」 わざわざ言い訳をすることが、自分の真意を伝えることになっている事実に、瞬は気付いていないらしい。 この瞬に、なぜあんな無体ができたのか、氷河には今でも あの夜の自分自身が理解できていなかった。 |