最高の野心

- I -







16世紀、イタリアは、地中海世界の中心にあった。
古代ギリシャ・ローマの人文主義的芸術の復活・復興と 経済の繁栄のどちらが先にイタリアの地に根付いたのかは定かではないが、地中海貿易で富を蓄えた大商人たちの庇護を受けた芸術家たちは、次々に新しい絵画・彫刻・建築物を発表し、イタリアの人々に誇りを、外国の者たちに憧憬の念をもたらしていた。
自由で美しいギリシャ・ローマの神々を称える芸術の復活は、中世の重苦しいキリスト教的道徳から人々の心身を解放するものであり、個人の自由を尊ぶ芸術世界での風潮は、人間社会の仕組みと空気をも変えてしまったのである。

造形的美しさや知的美しさが重視され、生まれは卑しくても美を生む才能さえあれば、貴族や国王と同席できる地位をも得られる時代。
美しければ倫理にもとる恋も、人々の称賛を得ることのできる時代。
努力と才能に恵まれさえすれば、一介の農民でも世界の王者にもなれると錯覚するほどに、世界には自由の気風が満ちているように見えた。

芸術の庇護者であった王侯貴族たちは、だが、美を追い求めることだけにうつつを抜かしていたわけではない。
古い家系を誇る王族や広い領地を持つ大公が 成り上がりの商人に借金を申し込まなければならない時代は、身分や権力が永続的なものではないことを、権力者たちに知らしめた。
商人や傭兵隊長が一国の王になる例が実現し始めると、政治面でも経済面でも軍事面でも権力者たちの駆け引きの巧みさがものを言うようになる。
芸術の世紀・繁栄のイタリアは、また、陰謀渦巻く時代と場所でもあった。

当時、イタリアは、ローマ教皇領、フィレンツェ共和国、ナポリ王国、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国の五大勢力を中心に、無数の都市国家に分かれて互いに覇を争っていた。
そんな中、大国ミラノ公国の王女が小国レッジョ公国の王子の許に嫁ぐことになる。
王女の持参金の額や二人の間に将来生まれる子供の権利の範囲等と共に、二人の結婚が実質的に成立したことを確認するための儀式の段取りが二国の間で取り決められたのは、当然の用心だったろう。

前世紀末――ほんの数年前のことである――、ローマ教皇アレクサンデル6世の娘にして かのチェーザレ・ボルジアの妹であるルクレツィア・ボルジアと、ペーザロのジョヴァンニ・スフォルツァの結婚が、性行為が成就していない結婚――白い結婚――として無効扱いされていた。
ルクレツィアとの離婚に同意させられ、性的に不能であるという噂を立てられ、大いに名誉を傷付けられたジョヴァンニ・スフォルツァは、当時のミラノ公イル・モーロの甥だったのだ。

奔放で美しいギリシャ・ローマの神々が復権し、美しい恋が賛美される時代にあって――否、だからこそ――、王侯貴族の結婚の大半は政略結婚であり、結婚が実質的に成立しているかどうかということは、政治的に重要な意味を持つことだった。
ルクレツィアの兄であるチェーザレ・ボルジアがナバーラ王国の王女シャルロット・ダルブレと結婚した際には、無事に初夜が実施されたことをフランス国王ルイ12世が見届けている。
チェーザレは1回行為が成されるたびに 証人たちに合図を送り、それが6回目に至った時、ルイ12世は、「余よりブラボーな男だ」とチェーザレを称賛したと伝えられている。

大国ミラノの王女と小国レッジョの王子の結婚は、そんな時代に珍しく恋愛結婚だった。
たまたま同じ時期にローマを訪問していた二人は、教皇主催で行なわれた宴の席で出会い、恋に落ちたのである。
だが、神への従順・年長者への従順が美徳とされるキリスト教的道徳の影響力が薄れている時代は、王族の恋が危険視される時代でもあった。
自由な時代の恋人たちは、恋のために どんな無謀をするかもしれず、また、恋の感情が消えたとき、二人の――二国の――関係がどう変化するかということも予測できない。

小国レッジョとしては、二人の恋が終わっても、婚姻は確かに成立していたことを内外に示しておくことが得策であり、大国ミラノは、小国に嫁ぐ王女を通して、彼女の実家であるミラノの影響力を婚家に及ぼし、あわよくばレッジョをミラノの属国にしたい。
新しい夫婦の実質的婚姻の確認の必要性という点において、二国の利害は一致していた。

ミラノ公国には、また別の思惑があった。
ミラノ公国では女性には王位継承権は与えられない。
他国の王子になるとはいえ、レッジョに嫁ぐ王女の産んだ子供が男子であれば、その王子はミラノ公国の公位継承権を得ることになる。
そして、次期ミラノ公となる王子――新婦の兄――は、あまり頑強な身体の持ち主ではなかった。
彼が万一 跡継ぎを残すことができなかった時、娘の子――つまり、自分の孫――を公国の世継ぎとすることを期待しているミラノ公としては、王女の夫が不能では困るのだ。
ゆえに、二人の結婚が実質的なものであることを確認することは、非常に重要な――教会で為される婚姻の誓いなどより、はるかに重要な――ことだったのである。






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