「どちらにしても、ミラノ公になるってことは、人前であんなことをしなければならないということでしょう? それだけは絶対に嫌」
それでなくても公位への野心を持っていなかったシュンは、昨日の見世物に臨席させられたせいで、無欲を嫌悪にまで変えることになってしまったらしい。
それはミラノ公の罠にはまるようなものなのではないかと 忠告しかけて、ヒョウガはそうするのをやめた。
ヒョウガはミラノ公の 人となりを知らない。
そして、まがりなりにもミラノ公はシュンの近親である。
軽率なことは言いたくなかった。

あまり崇高とは言い難い自分の推測を口にする代わりに、ヒョウガは、派手ではないが さすがに上等で座り心地のいい肘掛け椅子で脚を組み替えた。
フィレンツェやローマのように有名な画家や彫刻家は生んでいないが、ミラノの工芸・縫製・建築技術はイタリア随一と言っていいような気がする。
シュンの住まいは、調度も館そのものも、無駄が少なく快適だった。
派手ではないが、どれも意匠に凝っていて、美しく実用的である。

言葉を途切らせたヒョウガに、シュンが唐突な話題を振ってきたのは、ヒョウガが彼の通された客間の様子をひと渡り見回し終えた時だった。
とはいえ、それは、よく考えてみれば話の流れに沿った自然なものだった。
が、シュンの発言が世間一般で語られていることと あまりに解釈が異なっていたせいで、ヒョウガはつい それを唐突で突飛なことと感じてしまったのである。
シュンは、ヒョウガに、
「レッジョ公は――ヒョウガのお父様は、ヒョウガのお母様を深く愛してらしたんでしょうね」
と言ったのだ。

「なに?」
ヒョウガの意外そうな反応が、シュンにはそれこそ意外だったらしい。
幾度か瞬きを繰り返してから、シュンは自身の言葉に確信を持っているように頷いた。
「レッジョ公は、ヒョウガのお母様が国や家臣に正妃として認められることより、お母様のお気持ちを大事に思ったから、あんな残酷な儀式に臨ませようとしなかったんでしょう?」
「……」

ヒョウガは、これまで周囲の者たちに、全く逆のことを言われ続けてきた。
ヒョウガの母の身分は低かったし、レッジョ公は二度目の妻とその子供を重んじる気がなかったのだろう――と。
父が母を愛していたことは知っている。
母が父を敬愛していたことも、ヒョウガは幼心に感じ取っていた。
だからこそ『なぜ』と、だからこそヒョウガは、自分に公位継承権がないのはなぜなのかと、疑い続けてきたのだ。

しかし、ヒョウガの父の為したことは、野心のない者から見れば、ごく自然な愛情の発露であったらしい。
シュンの言葉は、物心ついてから20年来のヒョウガの迷いを瞬時に消滅させてしまった。
ヒョウガは息を呑んで、この異国の清潔で聡明な少年を見詰めることになったのである。
花のような面差しをして聡明。
若く、野心はなく、だからこそ、素直でまっすぐな視点と思考を持っている。
面倒で厄介な相手とわかっていても、ヒョウガは恋に落ちないわけにはいかなかった。


シュンといると、ヒョウガはいつも非常によい気分になることができた。
話していると心地良い。
声も語り口も語る言葉の選び方も その際にたたえる表情も、シュンのそれは実に上質で汚れを感じさせないものだった。
その上、美しい。
シュンが側にいてくれたなら、自分の周囲には一生 花や宝飾品の類を必要としないだろうと、ヒョウガは心から思ったのである。

同時に、レッジョ公の正式な王子と認められていないことは幸運だったかもしれないと、ヒョウガは考え始めていた。
国に内乱を招く可能性を減じるために跡継ぎを儲けることが第一の義務とされる王子であったなら、どれほど美しく優しく高い身分を持つ者が相手でも、彼は男子に恋することは許されない。

イタリアで最も腐敗している町は教皇の支配するローマ、キリスト教の影響力は薄れ、人間個々人の自由と才能が重視されるようになってきているとはいえ、無論、現在でも同性愛は公には認められていない愛である。
前世紀には、万能の天才レオナルドでさえ同性愛の容疑で裁判所に告発されている。
しかし、シュンに傾いていくヒョウガの心は止められなかった。
彼は、ミラノでの滞在期間を延ばし続け、やがては王宮を出てシュンの館に起居するようになっていた。

公位継承権を持たないレッジョ公国の王子と、第3位の公位継承権を持つミラノ公国の貴公子が懇意になり毎日密談を交わしていると、まことしやかに陰謀の噂が囁かれ始め、先に帰国した叔父やレッジョ公である父からも、毎日帰国を促す手紙がヒョウガの許に届けられていた。
それでもヒョウガは、ミラノを――シュンの側を――離れることができなかったのである。






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