実際の戦闘中に敵の不意打ちを受けても、瞬はこれほど取り乱しはしなかっただろう。
「やだーっっ!」
パニックを起こした瞬は、その声の主を押しのけて、彼の前から逃げ出そうとした。

瞬が路上で響かせた悲鳴に、氷河が目を剥く。
たとえ夜道で痴漢に襲われても、瞬がそんな声をあげることはありえない。
いったい瞬は、彼を捜しに来た男を痴漢以上の何だと思ってそんな声を響かせたのかと、氷河は瞬の錯乱に驚いた。
そして、自分の前から逃げようとする瞬の手を掴み、引き戻した。
「瞬、おい、待て」
「僕を見ないでっ」
「見るなって──瞬、おまえ、泣いてるのか?」

さほど強い力で掴みあげられているわけではないのに、瞬は氷河の手を振りほどくことができなかった。
氷河は、力ではないもので瞬を自らの側に置く術にけている。
瞬の逃亡を許す意思が氷河にないのなら、彼から逃げることは不可能だということを、瞬はこれまでの経験からよく知っていた。
彼にその意思がないことを認めた瞬は、覚悟を決めざるを得なかった。
尋常の人間のものとも思えない醜悪な姿を氷河に見られ、彼に嫌悪の目を向けられることを。

「どうしたんだ。誰かにいじめられ──るわけがないか」
氷河は、上向かせた瞬の頬が涙に濡れていることに驚いたようだった。
が、それ以上の驚きは、氷河の表情には表れない。
瞬は、氷河が驚かないことに驚いた。

「……氷河、僕の顔見ても平気なの」
「? いつも見てるじゃないか」
「で……でも、僕、みっともないでしょ」
「何を言ってるんだ?」
「…………」

そんなはずはない──と、瞬は、つい数分前のそれとは違う混乱に襲われてしまったのである。
そんなはずはなかった。
自分の醜さが自分だけに見える幻や錯覚であるはずがない。
現に、さきほどの老人は、今日出会った瞬の姿を、昨日の瞬と同じものだと認めることができなかったではないか──。






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