が、そんな氷河の様子を見て、瞬が不安にならないはずがない。
瞬は、恐る恐る氷河にお伺いをたててきた。

「氷河……。氷河、このポスター嫌いなの? こんなに綺麗に撮れてるのに……。僕、氷河と一緒にアイスクリーム食べようって思って頑張ったのに……氷河、もしかして怒ってるの……」

瞬は、ほとんど泣きそうな顔になっている。
氷河は、どうにも仕様のないジレンマに、奥歯をきつく噛みしめた。

氷河とて、この場では、瞬のために、『良く出来ているポスターだな』と言ってやらなければならないことくらいわかっているのだ。
しかし、それも紫龍の計算のうちだろうと思うと、意地とプライドなるものに邪魔されて、素直にその嘘を告げてやることもできないのである。



が、目の前に、瞬の潤んだ瞳。
氷河が、瞬のその眼差しに勝てるはずもない。

胸中の憤怒を抑えに抑え、己れのプライドの訴えを無理に振り切って、氷河は瞬のために死ぬ思いで微笑を作った。

「怒ってなどいないぞ。俺がおまえを怒ったりするわけがないだろう? 綺麗なポスターだな。良く出来ている」
「ほんと……?」

氷河から、その決死の言葉を貰っても、瞬はいつも通り素直に氷河の言葉を信じてしまうことができずにいるようだった。
当然である。
氷河が瞬のために無理に作った笑顔は、なにしろ、かなり引きつっていた。

「もちろんだ。良く頑張ったな。本当は嫌だったんだろう? 紫龍なんぞとこんな写真を撮るのは」
「そんなことないよ! 氷河がきっと喜んでくれると思ったら、すごく楽しかったもん。このポスターの出来でアイスクリームの売上げが30億円くらいは違ってくるなんて言われて、僕、最初はすごく緊張してたんだけど、紫龍と一緒だったから、すぐ大丈夫になったし」

「…………」

ここまで、望まぬ言葉を言われてしまうと、はっきり言って、氷河の怒りも怒りの次元を突き抜けてしまう。
半ば脱力してしまった氷河の表情は、それで逆に和らいでしまった。

「……そうか、それは良かったな」

瞬が、とげとげしさの消えた氷河の微笑を見て、ほっと安堵の息を洩らす。
それから瞬は、氷河の微笑を誤解しきったまま、あどけなくも冷酷無比な提案を持ち出してきた。

「ね、氷河、今からアイスクリーム買いに行こ? スーパーとかはまだだけど、コンビニではもう先行販売されてるんだって、バイオレットピーチ味のアイスクリーム。あのね、僕、あのポスターの写真撮る時、一回食べさせてもらったんだよ。白桃のアイスクリームにね、スミレの花の砂糖漬けが入ってて、すごく綺麗で美味しいアイスクリームなの。一緒に食べようね!」


(そんなもの、死んでも食いたくないーっっっっ!)


――という心の叫びも、瞬のためになら抑えることのできる氷河は、見方によっては日本一健気な男なのかもしれなかった。

「そ…そうだな。俺も一口くらいなら食ってやってもいい」

とりあえず、このポスターは、まだプレゼン用の試作品らしい。ならば、正式採用されて全国に出まわる前に何とでもできるだろう――何とかすればいい――と、氷河は考えたのである。

が。

そこにまた、癇に障る紫龍の声。


「瞬。昨日、このポスターのプレゼンがあって、めでたく正式採用が決まったそうだ。来週本番用のを撮るそうだから、火曜日は他に予定を入れずにいてくれと広告代理店から連絡があった」

「うん。また、紫龍と一緒? なら、平気だよ」

「…………」
↑ この沈黙(絶句とも言う)は、当然氷河のものである。

話が既にそこまで進んでいるとは、彼は思ってもいなかった。
広告宣伝は、企業の業績を大きく左右する重大事である。普通なら数ヶ月の時間をかけて検討会議を重ね、その上で決定すべきものだ。先週プレゼン用のポスターを作ったばかりで、その翌々週に本番撮りなどという性急極まりない話は聞いたことがない。個人経営や同族会社規模の中小企業ならともかく、グラード冷凍冷蔵食品工業といったら、グラード財団食品部門の基幹会社の一つではないか。

「瞬。それはやめろ。アイスクリームなら俺がいくらでも買ってやる!」

「え? でも、僕、もう大丈夫だよ。二回目だし、紫龍と一緒だし。ねっ、紫龍」

氷河には、その『紫龍と一緒』が気に入らないのだと言うことはできなかった。
否、言ったところで理解してもらえないことを、氷河は知っていた。

そこにまた、紫龍の追い討ちがかかる。
「瞬の起用は決定してるんだ。50万のアイスクリーム券で瞬はサイン済み。違約金は5億だ。氷河、貴様が払うか?」

「契約金が50万のアイスクリーム券で、違約金が5億だと!? そんな無茶苦茶な契約があるかっっ! 紫龍、貴様、正気かっ!? 正気で瞬にそんな契約をさせたのかっっ!!!???」

紫龍を怒鳴りつけながら、しかし、氷河にはわかっていた。
紫龍はいつも正気なのである。
氷河をいたぶるためになら、彼は正気で正気の沙汰とも思えないことをしでかす男だった。

「俺がどーにかする。駄目だ。これ以上貴様と瞬の絡みなんぞ見てられるかっっ!! おまけにそれを全国に配布するだと!? じょーだんも大概にしろっっ!!!!」
「氷河、僕、平気だよ。楽しいお仕事なんだよ。それに、氷河とアイスクリーム食べるためなんだもん」
「駄目と言ったら駄目だっ!」

氷河の語気が荒くなったとて、この場合、誰に氷河を責めることができるだろう。
誰にもその権利はないはずである。

しかし、瞬は――氷河の憤りの訳がわからない瞬だけは、本来権利のないことを無邪気にしてのけるのである。

それも、涙という、無敵の武器を使って。







【next】