どれくらいたったのか、僕はいつの間にか眠りについていたらしい。ドアが開く音で目が覚めた。
「起こしたか?」
 微笑んでいたのは紫龍だった。冷たいオレンジジュースを持ってきてくれた。お粥は下げてあった。
「いえ、起きてたよ」
「熱はまだ、下がらないようだな」
 僕の額に触れる紫龍の手は、冷たくて気持ちが良かった。
「ごめんね。紫龍にまで心配させて」
「こんなときくらい、甘えてろ」
「ありがとう」
 僕は紫龍の手を握った。
「ん?」
「…紫龍…」
「何かあったのか?」
 僕は目を閉じた。
 僕は何も言わない。
 紫龍もそれ以上は何も言わない。だた、僕が気の済むようにしてくれる。
「僕、聖闘士でいられなくなったよ」
「え」
 いつも冷静な紫龍も、僕の突然の言葉に驚いたようだった。
「人を傷つけるのはあまり好きじゃないんだ」
 紫龍はやさしいため息をついた。
「そうだな。瞬は優しいからな。アテナの聖闘士としては失格の意見かもしれないが。瞬にとっては酷なことばかりが続いたしな」
「僕の体からコスモがなくなったんだ」
 紫龍は少し目を見開くように驚いたが、すぐに平静を取り戻した。
「どうして」
「わからない。ただ、こんなものはいらないってすごく思ったんだ。もう、戦いたくない。そしたら、熱が出て、気がついたらコスモがなくなってたんだ」
「…そう、か…」
 紫龍はしばらく何かを考えているようだったが、やがて微笑むと僕の額にくちづけをした。
 やさしいくちづけ。親愛の情が込められていた。それなのに、妙に僕は構えてしまっていた。
「瞬、どうした? いや…だったか?」
 いぶかしむ様な紫龍の瞳。僕はまともに見ることが出来なくて布団を頭まで被った。
「瞬、何かあったのか?」
「なんでもない。大丈夫」
 全然大丈夫なんてことなかった。声が震えているのが自分でもわかる。
「瞬」
 やさしく僕の布団をはぐり僕の様子を見ようとする。紫龍の長い綺麗な髪が、僕の髪をなでる。
 僕はおずおずと紫龍の方を見た。限りなく優しい瞳。そんな紫龍に一瞬でも怯えた自分が情けなくなった。
「…紫龍…!」
 僕は起き上がると紫龍に抱きついた。紫龍もしっかりと僕を抱きしめてくれる。
 僕は涙を止めることができなかった。兄さんと氷河の想い。それをどう受け止めていいのかわからない。コスモがなくなったこと。今までの戦いのこと、いろんなことが頭の中で回り続けている。そんな僕を紫龍はただ黙って優しくしてくれる。
 しばらく泣いて落ち着いたが、僕は紫龍に抱きしめられたままいた。
「瞬、俺が何か力になれることはあるのか?」
 低くて心地いい声が紫龍の胸から響いて耳に届く。
「大丈夫」
「本当に大丈夫なのか」
「うん。自分で解決しないといけないことだから」
 再び、兄さんと氷河のことを思い出して涙が出てきた。
「一輝と氷河のことか?」
 僕は驚きのあまり涙を流している顔のまま紫龍をみた。
「知っていたの?」
「わからないわけがないだろう。あんな風に瞬を見るのは二人だけだ」
「あんな風?」
 紫龍は少しためらう。
「瞬を、好きな女性を見るようにみていた。一輝も氷河もお互いにそれに気がついていたようだし。だから、二人とも先を争うような感じのことになったんだろ。氷河から聞いた。一輝が瞬に何かしたらしいって。それに気がついて自分もつい焦った行動に出てしまった。瞬の気持ちも考えずに浅はかだった、と」
 知っていたんだ。
「…僕、どうしたら…」
 紫龍にすがるような気持ちだった。
「二人のうちどちらかを好きなら、受け入れてもいいと思う。恋愛は男女だけのものとも限らないだろう。けど、そういう気持ちがないなら正直に伝えた方がいい。無理なことはしないだろう」
 僕はうなずいた。
「ありがとう。でも、なんだか自分の気持ちがよくわからないんだ」
「それは、一輝か氷河を好きだということか?」
 紫龍は少し驚いたように僕を見た。
 僕は頷く。
「兄さんは兄さんなんだけど、氷河はよくわからない。嫌なのか…そうじゃないのか」
「じゃ、そう伝えたらいい」
「そんな返事でいいの?」
「いいさ、それが今の瞬の正直な気持ちだろう? だったら、そう伝えるのが一番いい」
「うん」
 紫龍に話を聞いてもらうと、徐々に気持ちが軽くなっていく。このまましばらく甘えていたい。
「なんか、安心するよ。頼りないことばかり言ってごめんね。」
 紫龍は僕の頭をやさしく撫でてくれる。暖かい気持ちで、僕は瞳を閉じた。
「瞬は誰かに頼ってばかりだと思っているのかもしれないが、瞬の笑顔に救われている人も多い。現に、俺もそのひとりだ。もちろん、氷河や、聖矢の笑顔にも救われている。人はいろんな形で頼り、頼られるものだ。だから、自分がいつも頼ってばかりだと思わない方がいい」
 僕は、うなずいた。







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