「瞬。」
「え?」
ぼうっ としていた瞬は名を呼ばれて我に返った。目の前には氷河がいる。
「ひとつだけ言っておくがオレはこの世の別れにしようと思ってお前を抱いたわけじゃないからな。」
「ひ、氷河っ。」
真面目な顔でそう言われてただでさえ紅く染まっていた瞬の顔がますます紅くなった。
「これが最初で最後になんかさせないから……」
―だから、信じろ。―
そう言いたかった。

「あ、氷河ちょっと待ってて。」
何か思うことがあるらしく、瞬が起き上がろうとした。
「うっ、」
身体かだるい上に腰に鈍い痛みがはしった。
それでもなんとか衣服に手を伸ばして着ようとする。
「無理をするな。まだ寝ていろ。」
慌てたのは氷河である。素早く引き寄せる。
「あっ、」
瞬が思わず声をあげる。
「すまん。痛かったか?」
「ううん。平気。」
「それより何をしようとしたんだ?」
「ん、あのね、お醤油を、」
「醤油がどうした?」
ちょっと恥ずかしそうにしながら瞬は答えた。
「お醤油を、一升飲むと行かなくっていいって聞いたから…」
「……。」
「それで……。」
「それでオレに一升飲ませようと、」
「う、うん。」
氷河は苦笑するしかなかった。
「わ、笑わないで、」
一体どこで聞いたのか、確かにそれだけの塩分を一度に摂取すれば身体はただでは済むまい。
だが氷河は醤油を飲む気は無かった。
「大丈夫だから、」
ただ壊れたレコードのようにその言葉を繰り返すだけだった。

しかしながら瞬は見ていた。見上げた氷河の顔に死の影をハッキリと。
それは瞬に生まれながらに備わっていた一種の才能だった。
父のときも、母のときも、見えていた。
だからそれなりの覚悟もできて、取り乱さずに済んでいた。

―でも、―
今回ばかりはそれも無理そうだった。
―外れることもあるかもしれない。―
現に兄は戻ってこなかった。
最後に見た一輝には何も見出せなかった。それが瞬が兄の死を認めない要因のひとつでもあった。

自分の目を信じれば兄は生きているが氷河は死ぬ。
信じなければ氷河は死なないが兄は生きていない。

― 一体僕はどっちを信じればいいの?―

だれかれ構わず問いただしたかった。
満足する答えが存在しないことを知りつつも。






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