水滴の跳ねる音が響く。頭から熱いシャワーを浴びながら、瞬は先程の老婆の言葉を思い出していた。

『あんたはあんたを最も愛するものを必ず喪う運命にある』

 自分を最も愛するもの。
 可能性があるとするならば誰だろう、などと。考えるまでもない。
 ああ、考えるのはやめよう。あれはただの占いだ。気に病むことなど何もない。昔から言うではないか、当たるも八卦、当たらぬも八卦、と。
 …けれど。
 もしも、それが本当だったら、と。そう思わずにいられない。
 …あんなものは嘘だ。
 瞬は瞳を閉ざし首を振った。
 けれどあの老婆は聖域の結界のその内側にいたのだ。
 少なくともそれだけで、アテネの街角で道行くひとを占うような者達とは違う。

 怖い。
 あのひとを喪うのがこれほどに怖くて。どうにもならない。
 あのひとが話すのを。あのひとが笑うのを永遠に見ることがなくなったとして。
 それでも自分は生きていけるだろうか。
 自分を愛したが故に喪われゆく、そんな運命を黙って見過ごすことができようか。

 気付けば瞬は祈りの形の指を組んでいた。
 ───神様。
 どうかあのひとを、まもってください。
 そして僕を。
 どうかあのひとを僕から奪わずにいてください。

 彼がそばにいる。
 そのことの幸福に今まで気付かずに来た。
 あたりまえのようにいつだって彼は自分と一緒にいてくれたから。
 そのことに特別に感謝したこともなかった。
 それがどれほどに奇跡に近いことだったか。
 ひとはいつだってまさに喪われうようとするその時まで、物事の真価に気付かない。
 それを知ってしまえば、なくすのが怖くて何もできなくなってしまう。それ故に気付かない。
 それはひとが生きてゆくために、より容易く動くための本能が働いている証拠、なのだけれど。

 瞬は自分に言い聞かせた。
 …だいじょうぶ。
 占い師の言うことなど。気にせずいればいい。
  自分にすらわからぬことが、他者にわかるはずもない。

 瞬は水栓をひねってシャワーを止めた。






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