沙織のガーデンテラスを辞した瞬はその部屋へと向かった。
ノックを二回。しかし部屋に確かにいるはずの主からは返事がない。
瞬はためらわずドアを開けた。
「氷河?」
瞬の声に答えたのは穏やかな寝息だった。
眠っている彼を起こさぬように、瞬はそっと後ろ手にドアを閉める。
「……」
風が軽く氷河のきれいな色の髪を揺らす。
瞬は静かにその整った顔を見つめていた。
さわってみたいな。
それは突如胸の裡に生まれた誘惑だった。
柔らかなその髪に。閉ざした瞼、そして睫毛に触れてみたい。
手で指で唇で。
…どんな感触がするだろう。
「ねぇ…」
瞬が小さな小さな声で氷河に話しかける。
決して彼の眠りを妨げぬほどのちいさなこえで。
「一緒に…」
いっしょに。
いきたい。
彼と、どこまでも。
だからここを離れたくないのだけれど。
まさかそんなこと言えない。
いい年をした男が。命じられた役目を果たす場所にひとりでゆけず供を求めるだなんて。
おかしくて。
遠足だとか旅行であったならばきっとそういうこともできるけど。
「まさかねぇ」
瞬はひとりさみしく笑った。
今はたまたま一緒にいられるけれど。
でも本当にそれはたまたまのことで。
たとえば彼が故郷に帰ると言い出せば自分にそれを止める権利はなく。
同じように自分が何処かへ行くと言い出せば彼に自分を止める権利もない。
───権利。
つまらないことばだ。
どうしてもっとひとは素直に単純で在れないのだろう。
ただひとこと、離れたくないから一緒に来てよ、と言えたなら、それですべては済むことなのに。
しかし様々なことが邪魔をして、とてもそんなこと、言えない。
ともだちなら。
ただともだちだっていうなら。
そんな風に言うのはおかしいよね。
離れたくないから一緒に来てよ、だなんて。
恋人とかに言うならともかく、ね。
あぁ、さわりたいな。
そう思いながら瞬は眠り続ける氷河をただ見下ろしていた。
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