翌日、瞬王子が氷河姫の部屋を訪ねてきました。

本当はハレムは男子禁制なのですが、おそらくハレムの女たちは誰も、 瞬王子を男の子だと思わなかったのでしょう。

それくらい、瞬王子は可愛らしい王子様でした。



「氷河姫は、僕のこと嫌いなんですか」
その可愛らしい王子様が、泣きそうな顔で氷河姫に尋ねてくるのです。
どうして突き放すことができるでしょう。


「そんなことはない」

「だったらどうして? 僕の国が小さいから? 僕が氷河姫より小さいから? それとも、僕が泣き虫だからなの……」

涙をこらえてる王子様の様子が可愛くて、氷河姫は思わず王子様を押し倒し―― もとい、抱きしめたくなりました。


「そうじゃない。そうじゃないんだ。俺は瞬王子のことが死ぬほど好きだ。 それだけは本当だ」
「ほんと? 本当ですか?」
「本当だ。しかし……」


好きという気持ちだけで結ばれることができるほど、世の中は甘くありません。
事実、このハレムでは、皇帝の寵愛を得るために毎日女たちの醜い争いが繰り広げられています。それは、心から皇帝を慕っている女性が皇帝の愛情を得ることができるとは限らない――そんな争いでした。


しかし、瞬王子は、そんな醜い女の争いなど知らずに育った清らかな王子様。
氷河姫の苦悩など、知る由もありません。

「よかった……。昨日、氷河姫が急にどっかに行っちゃったから、僕、氷河姫に嫌われてるのかと思って……。僕、誰かを好きになったのって、氷河姫が初めてで、それなのに嫌われてしまったら、どうすればいいのかわからなくて……」
瞬王子は氷河姫の気持ちだけを重要視して、他のことには気がまわらないようでし た。
初恋なら、それも当然のことだったでしょう。


「初めて……?」
「あ、はい。だって……僕、今までずっと自分の国のお城から出たことがなかったんです。先月14歳になったから、一人で外国の勉強してくるようにって兄さんに言われて、初めて外に出してもらえたの。お姫様を見たのは、氷河姫が初めてで、こんな綺麗な人がこの世にいるのかってびっくりしちゃった。僕、お城では兄さんと家庭教師にしか会ったことなくて、氷河姫の国に来たら、みんな髭が恐くって、だから、僕……」


「…………」

どうやら瞬王子が氷河に一目惚れしたのは、トルコ宮廷にきてから髭面の 男性ばかりを見せられていたせいのようでした。髭がなければ女かオカマと思われるのが常のトルコでは、子供以外はみんな髭をはやしているのです。

現皇帝の寵妃たちは表向きに出ることは許されていませんし、氷河姫の姉妹たちも、暮らし慣れたハレムの外に出ようとは滅多に思わないようでした。

氷河姫は、つまり、瞬王子がトルコにやってきて初めて見た髭のない人だったのです。
普通の姫君に比べたら立派過ぎる体格も、髭面の恐さに比べたらさほどでもなかったのでしょう。


それはともかく。

初めて自分の国のお城を出たばかりの瞬王子には、氷河姫の他にお姫様の知り合いもいないようでした。

今、瞬王子のプロポーズにOKと答えずにいたら、瞬王子はやがてちゃんとしたお姫様に会って、氷河姫のことなど忘れてしまうかもしれません。
氷河姫は、それはとても嫌でした。



氷河姫は考えたのです。

他の男はもちろん、女にだって、王子様を取られるのは絶対に嫌です。
もし、瞬王子のプロポーズを受け入れて、瞬王子を騙し続けることさえできれば、幸い、瞬王子には兄君がいるようですし、後継ぎ問題の件はクリアできそうです。


行く手に小さな希望の光を見い出したような気がして、氷河姫は、初恋の姫君の前で恥ずかしそうに睫毛を伏せている瞬王子を見おろしました。
そして、ごくりと息を飲んだのです。

初恋の成就の予感にうっすらと頬を染めている瞬王子の、恐ろしく可憐なその様子に。

こんな可愛い王子様を、みすみす逃す手はありません。
そんなことをする男はただの馬鹿でしょう。
ハレムの女たちの寵愛争奪戦――つまりは過酷な権力闘争の荒波に揉まれて育ってきた氷河姫は、無論、世間知らずの馬鹿ではありませんでした。



氷河姫は、いったん決意さえしてしまえば、目的のものを手に入れるための努力を惜しんだりなどしない姫君だったのです。









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