夜空の一点から、光のシャワーのようにきらめきながら、氷河と瞬の上に雪が降り注いでいた。 「この雪、氷河が降らせてくれた雪?」 「さあな」 瞬が尋ねると、氷河は答えをはぐらかした。 氷河が答えなかったのは、空の手柄を自分のものにしようとしたからだったかもしれない。 雪は、城戸邸のバルコニーから見渡せる限りの全ての場所に、静かに静かに下りてきていた。 「雪って、なんだか、すべてを覆い隠してくれるもののような気がするね」 「隠したいものがあるのか?」 「辛い思い出とか、悲しい出来事とか――」 すべてを――。 瞬が隠してしまいたいものが何なのかを、氷河は重ねて問おうとはしなかった。 敵を倒すことを生業としている聖闘士には、心当たりが多すぎたから。 代わりに、まるで別のことを尋ねてみる。 「おまえに愛されたくて、善人の振りをするのは愚かだろうか」 「え?」 突然、脈絡のないことを問われた瞬が、少し驚いたように、雪の庭に投げていた視線を氷河の上に移動させる。 「おまえが“いい人”を好きなことを知っている。だから、俺は、“いい人”を演じて、おまえの心を手に入れようとする。それはいけないことか」 「それって、偽善をどう思うかってこと?」 「まあ、そういうことになるかな」 なぜ、ふいにそんなことを言い出したのかと問うことを、瞬もまたしなかった。 「美しい行為だと思うよ」 「偽善がか」 「氷河の偽善が」 瞬は、氷河の言葉を訂正した。 それから、淡い雪のような微笑を目許に刻む。 「それって、僕のために、自分の気持ちを打ち消して、したくもない善行をしてくれてるってことでしょう? 神様は見てるって信じて、神罰を怖れて悪事をしない人よりは、美しいんじゃないかな」 「…………」 『おまえは、神の目を怖れて善良な人間を演じているのか』と問う言葉を、氷河は口にしなかった。 瞬がそういう人間だとは、氷河には思えなかった。 氷河には、瞬の優しさは、自然に湧き出る泉の水のようなものに感じられていた。 そんな氷河の幻想を、瞬がやわらかい笑みで遮る。 「僕を、心底から善良な人間だなんて思わない方がいいよ、氷河」 「…………」 それでも、氷河には、瞬の言葉を信じることはできなかった。 瞬は、韜晦術に長けている。 自分を善人ではないと、他人に信じ込ませることくらい、瞬には容易なことなのだ。 しかも、瞬は、他人のために、それをし遂げてしまう。 「でも、きっと、人はみんなそんなふうなんだと思うんだ。生まれたばかりの子供みたいに清らかな心で、善行をしてる人なんていない。いても、価値がない。自分の欲望を殺して善を為すから、人は美しいんだよ」 瞬の言葉が、自分以外の人間のためのものだということが、氷河にはわかっていた。 「だから……たまには、すべてを覆い尽くしてくれる雪が必要なの」 囁くようにそう言って、瞬は、その身体を氷河に預けてきた。 「僕は――氷河を信じてるから」 「信じるに値しない男だぞ、俺は」 「僕が信じてるのは、氷河が心清らかな人間だってことじゃなく、氷河が心清らかであることを望んでいる人間だってことだよ。――氷河は正直だよね。ほんとに嘘がつけなくて、糞真面目」 『僕にだけ――』 続く言葉を口にはせず、瞬は、その言葉の甘さを、自分の中で楽しんだ。 「そして、僕が信じてるのは、氷河が僕を幸せにしてくれることじゃなく、氷河が僕を幸せにしようと頑張ってくれるってこと。僕が、氷河を信じるには十分すぎる事実だと思うよ」 雪の降る聖夜。 二人きりでいる、こんな夜くらいは、自分たちだけの幸福を語ることも許されるに違いないと、瞬は思っていた。 |