「おい、早くしろ! 急いで船を離れないと、このボートまで船の沈没の巻き添えを食う」

“夢”に弄ばれている母子の間に、現実の声が割って入る。

「氷河!」
「嫌だ」

「氷河……」

彼女は、自分の息子を説得するのを諦めた。
時間はもう残されていない。
“答え”は、彼自身がこれからの人生の中で見付けるもので、その人生に、彼女はもう関わることはできないのだ。

必死にしがみついてる我が子を引き剥がし、彼女は両手でその身体を抱き上げた。

下に待つ船員に、半ば悲鳴のような声で懇願する。
「この子を受け止めて!」


北の海を騒がせている風は、身を切るように冷たく荒々しい。
母の体温に触れている間、氷河は、しかし、その風の痛みには気付いていなかった。

互いに守り守られ、支え支えられてきた唯一の存在。

氷河の身体は、そうして、彼にとって唯一の人間である母の手を離れたのである。





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