「おなか空いてるんでしょう? 僕たちもちょうどこれからお昼にしようと思ってたところなんだ。一緒に食べようね」
無礼な男とは対照的に、瞬は、言葉も表情も仕草も優しかった。

しかし、氷河は、そういう人間をこそ信じてはいけないのだということを知っていた。
優しい人間など――何の魂胆もなく他人に親切にしてくれる人間など――この世に存在するわけがない。

「俺は、金、持ってない」

「お金はいらないよ。星矢たちが――あ、僕たちのこの家での同居人なんだけどね――いないことを知らされていなかった調理師さんが、ご飯を多く作りすぎたの。捨てるのはもったいないでしょ?」
瞬の言葉から察するに、ここは、“家族”というもので構成されている普通の家ではないらしい。
そういえば、瞬と、その脇に立つ無礼な男は、歳は兄弟というところなのに、全く似ていない。
ここは学校の寄宿舎のようなところなのかもしれないと、氷河は推察した。


「父親もいない。俺はシセイジだ」
「…………」

氷河の自己紹介が、瞬には唐突なものに感じられたらしい。
瞬は、驚いたように瞳を見開いた。
氷河には、それは、対峙する相手に何よりも優先させて伝えておかなければならない重要な事柄だったのだが。

瞬は、大人たちが氷河のその言葉を聞かされた時に必ず見せるあの独特の表情を、その顔に浮かべなかった。
氷河が見慣れた、自分たちとは異質なものに投げる蔑みと奇異の表情を。

「お父さんがいる子もいない子も同じように、おなかは空くよ」

氷河は、だが、だからこそかえって、瞬に対する警戒の念を強めたのである。
「マーマもいなくなった。俺に親切にしても無駄だ」
「無駄って、どういうこと?」
「見返りは期待できないってことだ」

そんなこともわからないのかと、氷河は少しばかり瞬に苛立ってきたのである。
瞬は、しかし、そんな氷河の苛立ちなど、意に介していないようだった――気付いてはいるようなのに。

「うーん……。でも、ここで、君がご飯を食べてくれないと、僕が困るんだけど」
「なぜ、おまえが困る」
「おなかを減らしてる人の前で、自分たちだけご飯食べるのって決まりが悪いじゃない。ご飯が美味しくなくなるよ」

「その方がかえって美味く感じるかもしれない」
「え……?」

瞬は、本当に頭の悪い人間なのかもしれない――と、氷河は思った。
瞬は、氷河の言葉にきょとんとしていた。

その瞬の後ろから、ぬっと、無礼な男の腕が伸びてきて、氷河に掛けられていた毛布を剥ぎ取る。
「四の五の言わずに食え。ここで貴様に餓死されたら、俺たちの寝覚めが悪いんだ。こっちが深刻に心配してやってるのに、貴様ときたら、呑気に熟睡しながら腹の虫ばかり鳴かせやがって」

無礼な男の言葉が、氷河の頭に血をのぼらせる。
氷河は、自分の空腹を悲しいほどに自覚していたが、おかげで意地を張り続けざるを得なくなってしまった。
「心配してくれなんて頼んだ覚えはない」
「確かに頼まれた覚えはないな」
「…………」

氷河は、その後に続けるべき言葉を見付けだせなかった。
瞬も、この無礼な男も、氷河が見知っている他の人間たちとは、どこか何かが違っている。

「おまえの日本語は変だ」
「おまえは、可愛くない」

無礼な男は、更に無礼を重ねる。
氷河は、自分と同じ色の髪をした男を、上目遣いに睨みつけた。

無礼な男も、氷河を睨んでいる。


そして、しばしの膠着状態――。

救いの手は、瞬によって差し延べられた。
「あ……じゃあ、こういうのはどうだろう。君は、僕たちと一緒にご飯を食べる。で、その代わりに、食べた後の食器の片付けを手伝ってくれるの。労働と報酬の交換。それならいい?」

「なら、食べてやってもいい」
「よかった」

氷河の返事に、瞬は安堵したようだった。
空腹でたまらなかった氷河も、実は瞬に感謝していた。





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