さて。 ここで、バレエ“白鳥の湖”で、華やかなパーティ会場に、黒鳥オディールが登場するシーンを思い浮かべてほしい。 舞台に高らかに鳴り響くファンファーレ。 ざわついていたパーティの客たちは、申し合わせたように舞台の端に身を引き、そして、王子の心を我が物にする自信に満ちたオディールが、颯爽と舞台の中央に登場するのである。 登場したのは、無論、氷河だった。 お約束の黒のタキシード、立ち襟のシャツに黒の蝶タイ。 登場の演出は実に見事だったのだが、いかんせん、間が悪かった。 彼が登場したのは、パーティ会場にいる全員が、この茶番の種を明かされた後だったのである。 氷河は、周囲の空気がまるで読めていないようだった。 おそらく、彼の目には、瞬の姿しか映っていなかったのだろう。 沙織の横に立っている瞬だけを見詰めて、彼は一直線にホールの中央を突っ切った。 そして、彼の姫君の前に辿り着くと、一瞬の時を惜しむように、きっぱりと瞬に告げた。 「指輪が出来てこなくて、遅くなった。瞬、俺と結婚してくれ」 瞬の前で指輪のケースの蓋を開け、氷河はこれ以上はないほどに真剣な顔で、瞬にプロポーズしたのである。 「一生、おまえだけに愛を誓う」 それは。 事態が事態でなければ、もしかしたら感動的な場面だったかもしれない。 しかし、この場では、今となっては――なにしろ、茶番がバレたばかりなのである――茶番の上を行く茶番でしかなかった。 「あーあ、間が悪すぎ」 星矢のぼやきが、しんと静まりかえったパーティホールに、妙にはっきり間抜けに響く。 それすらも、氷河の耳には聞こえていないようだったが。 「氷河……」 「瞬、返事を――」 返事など、できるわけがない。 しかし、瞬は、律儀である。 律儀な瞬は、しっかりはっきり、求められた返事を氷河に与えたのである。 「氷河のばか―っっっ !!!! 」 どっかーん★ と、自らの小宇宙を最大限に爆発させて。 「ぼ……僕が男か女かもわかんないのっ !? あっ……あんなことしといて、それでもわかんないのーっっっ !!!! 」 無であったこの三次元に宇宙を生み出したというビッグバン。 それが、今、まさに、アテナの聖闘士たちの目の前で再現されていた。 無論、アテナの聖闘士たちは、そんな些細なことに動じるような玉ではない。 「あんなこと?」 「おい、まさか……」 「うむ、もしかして……」 めらめらと燃える強大なピンクの小宇宙の中で、黄金聖闘士たちはひそひそと井戸端会議を開始し、氷河だけが、瞬の剣幕の理由が理解できずに戸惑い顔である。 「……瞬?」 間違った情報をしか知らされていない氷河としては、それも当然のことだったろう。 が、今の瞬には、氷河のそんな立場を思い遣る余裕も何もなかった。 他の誰かならともかく、瞬の性別を誤認している相手は、氷河なのである。 瞬の怒りもまた、当然と言えば当然のものだった。 「いいですかっ !? 僕は男です、オ・ト・コ! 脳も内性器も外性器も性腺も、あと、なんだっけ、とにかく、全部男! でなかったら、しo○○なんてできるわけないでしょっ! どーして、氷河にそれがわかんないのっ !? 」 「…………」 瞬にそこまで言われて、さすがの氷河も、事態が飲み込めてきたらしい。 彼は、しどろもどろで、瞬に弁解を始めた。 「……おまえが1回しかやらせてくれないからだ。俺の記憶もはっきりしないし」 「い……1回したら、十分でしょう!」 「何が十分なものか。そもそも、おまえが恥ずかしがって、俺から逃げてばかりいるのがいかん」 「だ……だって、氷河にあんなことされるなんて……自分があんなふうになっちゃうなんて、僕……」 瞬の小宇宙が急速に弱まり、代わりに瞬の頬が朱の色に染まる。 身の置きどころをなくしたように恥じらいの表情を見せた瞬は、だが、その数秒後に、はっと我にかえっていた。 「とっ……とにかく、こんな馬鹿げた冗談を信じるなんて、他の人は許せても、氷河だけは許せませんっ! 来てっ! 僕が男なのか女なのか、その目でよーく確かめさせてあげるからっ!」 再びピンクの小宇宙を燃やし始めた瞬は、氷河を怒鳴りつけるや、その手を掴みあげ、ホールの正面扉に向かって大股で歩き始めた。 それでなくてもホールの脇に寄っていた招待客たちが、揃って壁とお友達になる。 80人を越す聖闘士たちの注視を浴びながら、そうして、二人の姿は、彼等の前から消えていったのである。 「……おい」 「あの二人、どこへ……」 「聞くだけ野暮だな」 「そういうことになっていたのか……」 唯一、壁ではなく床とお友達になっていた一輝は、泡を吹いて大往生しかけていた。 |