嵐の一夜は――おそらくは、誰よりも瞬にとって――かくして、見事に明けた。

と言っても、氷河が瞬の部屋を出た頃、既に太陽は中天に達しかけていたのだが。

上等のシルクのシャツをだらしなく引っかけるように着て、彼は、夕べ馬鹿げたパーティのあったホールには目もくれず、厨房に向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して、冷えた水を勢いよく喉の奥に流し込む。


「さっぱりした顔ね。どう? 瞬が男の子だってことは存分に確かめられて?」
ドアの前から氷河に声をかけてきたのは、世に隠れもないアテナその人だった。

「存分に」
口の端を歪めるだけの微笑を作ると、氷河はそれをアテナに向けた。

狡猾にさえ見えるその表情を見て、沙織が肩をすくめる。

「まったく、アテナにこんなことをさせるなんて」
「企んだのは、あなたでしょう。俺が頼んだわけじゃない」
「あら。だって、瞬の部屋から朝帰りするあなたを見かけて、これはもしかするともしかするわねーって喜んで、一ヶ月近く、あなた方の動向を見張ってたのに、その後、なーんにも起こらないんですもの。焦れちゃって」

沙織の主張に、今度は氷河が呆れた顔になった。
「見張りますか、普通」
「見張るでしょ」
沙織は、自信満々で断言した。

「案外、1回目より2回目の方が、コトを運びにくいものなのかもしれないけど。感謝はしてほしいわ。可愛い聖闘士たちのために尽力したのよ、私は」
「とりあえず、俺はアテナに一生涯の忠誠を誓うことにしよう」

まるで真剣味のない態度で、氷河はアテナへの忠誠を口にした。
氷河の忠誠心になど最初から期待していなかったらしく、沙織は氷河の態度に気を悪くした様子も見せない。

「当然ね。あなたの“2回目”のために、いくら費用がかかったと思ってるの。聖闘士たち全員を日本に呼びつけるための交通費、食事・飲み物代、室内楽団の手配に、星矢たちの貸し衣装代まで、しめて642万飛んで260円」
「それで瞬との2回目ができるのなら、安いもんだ」
「払うのは私よ」
「俺も出費した」
「え?」

沙織が氷河のその言葉を聞いて、ふっと顔をあげる。
沙織には、氷河にこの茶番への共同出資を申し出た憶えなどなかったのである。
氷河の出費で思い当たるものは、ただ一つだけだった。

「指輪……本物だったの? ダイヤでもサファイヤでもなかったようだけど」
「ノーザンクロスの石を使った」

「お母様の形見の?」
「他に、俺のものと言えるものを、俺は持っていない」
氷河の出費は、やはり、指輪のリング代と石の加工費だったらしい。

沙織が、苦笑とも微笑ともつかない笑みを目許に浮かべて、小さく吐息する。
「あなたが、我儘で小狡くて自分勝手を極めていても許せるのは、自分の大切な人には、誠実で忍耐強くて忠節を尽くすからだわね。さっさと押し倒しちゃえばいいだけのことなのに」

「瞬に、そんなことはできない」

氷河は、人間としては最低でも、恋人としては最高に忠実な男なのかもしれない。

そして、沙織は――女は――存外に、そういう男に好意を持つようにできているのだ。





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