氷河が花との逢瀬を楽しむようになって半月も経ったある日、氷河の許に無粋な男が訪ねてきた。

彼は、警視庁刑事部捜査三課の盗犯罪担当刑事と、自己紹介をした。
中年男の無粋な風情に、氷河は眉をしかめたのである。
そんなものの世話になるような覚えはなかったし、そもそも“捜査三課の盗犯罪担当刑事”というのは名ではない。

何につけ、氷河は、美しいものが好きだった。
姿も行動も。
彼は、氷河の美意識にまるでそぐわない生き物だった。

彼は、氷河が購入した絵のことで訊きたいことがあると言ってきた。

「何も起きていませんか?」
と、彼が、言葉だけは丁寧に、しかし横柄な態度で、氷河に尋ねてくる。

彼より14、5は若い20代の外国人の青二才が、豪勢な屋敷に住んでいるのが気に入らなかったのかもしれない。
しかも、その道楽が絵画収集ときては、彼のような人間には、氷河は異世界の存在にも思えていたことだろう。
盗犯罪担当の刑事が親身になって勤労に勤しむべきは、犯罪によって生活に支障をきたすようなつましい市民たちであり、善良な市民の生涯賃金に匹敵するような値段の絵を購入して悦に入っているような輩ではないのだ。

ともあれ、彼は、氷河にそう尋ねてきたのである。
まるで、氷河の許を訪れる毎夜の奇跡を知っているかのように。

どういう意味かと反問した氷河に、捜査三課の刑事は、“奇跡”が氷河の上にだけ起こったのではないことを教えてくれたのである。
コレクターたちの手に渡った他の4点の絵の中の人物が、それらの絵の中から消えてしまった――ことを。

後に残されたのは、かの天才画家の手によるものと鑑定家が太鼓判を押す作品だったのだが、コレクターたちには、作品の真贋よりも、絵に描かれていた少年の方がはるかに重要なものだったらしく、あの少年を捜し出せと、各方面に――無論、各国の警察にも――訴えてきたというのである。
その捜査への協力要請が、日本の警視庁にまで及んだ――ということらしい。

「絵を取り戻せというならわかりますがね。絵の中の人間を取り戻せと言われても困るんですよ」
刑事は、自分に振られた仕事が不愉快極まりないらしく、仏頂面で愚痴を言った。
「こちらに最後の一枚――いや、一人がいると聞いて、こうして伺ったわけです。こちらからも家出人捜索願いを出されてはたまりませんのでね」

“家出”の被害にあったコレクターたちの名を訊くと、刑事は、某日本国の首相などより余程有名な財界の大物たちの名を四つ挙げ、彼等の愚行を鼻で笑ってみせた。






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