「祖父は人間を愛さぬ人――なのだと思っていました。もともと天才肌で、常人とは少し感覚の違う人でしたし、祖母や僕の両親は、人間の情愛を拒否しているような祖父に、随分と辛い思いを味あわされたようです。父は、祖父への反発から人物だけを描く画家になりました」

瞬は、自分を、かの天才画家の孫だと言った。

「父は――優しい人でしたが、画才は祖父に遠く及ばなくて――いえ、父には祖父の名が重すぎただけだったのかもしれませんが、ともかく画家としては大成しませんでした。僕は、父の絵をとても好きだったんですけども」

瞬は、絵から抜け出てきた奇跡ではなかったのである。

「でも、僕は……祖父の作品も好きだった。祖父に優しくしてもらった記憶はないんです、僕。でも、好きだった。父は、いつも絵のことばかり気にかけて家族を顧みない祖父を冷血漢と罵ってました。祖母が早くに亡くなったのもそのせいだと……」

瞬の父の名を、氷河は知らなかった。
市場やコンクールで注目を浴びる経験を持たない画家だったのだろう。

「祖父の死後、暮らしに困って、父は贋作に手を出したんです。家に残っていた祖父の作品を売ることは――祖父の遺産に寄りかかることは、父にはできなかった。父は、祖父の風景画を模写し、そこに人間を――僕を描き入れたんです。その絵は売れました。評価も高かった。でも、結局それは祖父の名で世に送り出したからこその評価で……父は後悔したんです、自分のしたことを……」

瞬の瞳が暗く翳る。

「半年前に、僕の両親は事故で亡くなりました。息を引き取る直前に、贋作のことを僕に告げて、父が模写した絵のオリジナルを絵の購入者に渡すように言って――そして、父は亡くなったんです」

父と祖父の名誉を守るために正規の手続きを踏むことができず、瞬は泥棒まがいのことをせざるを得なかったのだろう。
氷河が瞬に出会ったのは、瞬が絵をすり替えるために、氷河の家に忍び込んだその夜だったのだ。

あの夜、たまたま氷河が目を覚ましたりしなければ、それで瞬の困難な仕事は終わっていたはずなのである。

否、終わりはしなかったろう。
「瞬。おまえ、わかっているのか。世界中の大富豪たちがおまえに捜索願いを出しているんだぞ」
「氷河の絵が最後の一枚です。この仕事が終わったら身を隠すつもりでいました。出頭はできない……父の名と祖父の名を汚すことはできないと思ってた……ごめんなさい」

花のような風情をした可愛らしい泥棒は、氷河の手でしかるべきところに突き出される覚悟を決めたらしい。

水を奪われた花のように項垂れて、瞬は、氷河の審判を待っていた。






【next】