紫龍が氷河に会ったのは、医師国家試験に合格後、精神保健指定医の資格を取るために、大学病院で診療業務に携わっていた時だった。
患者というのではない。
大学院を卒業後、母校での講演に講師として招かれたOB──それが氷河だった。

40代で企業家として成功すれば、鳴り物入りで迎えられる学内の定期講演に、卒院後数年、20代の若さで招かれること自体が稀有なことで――たとえ、彼が飛躍的に業績を伸ばした会社が、親から経営権を譲られた企業であっても――要するに、彼は、若くして成功した敏腕家だった。

その講演後のパーティで、学長に互いを紹介されたのが、紫龍と氷河の交友の始まりだった。
もっとも、氷河が紫龍を友人と思っているのかどうかは、知り合ってから数年が経った今でも、紫龍にはわかっていなかったが。

学部は違ったが、同い年だったので、紫龍は氷河の存在自体は彼が在学中から知っていた。
目立つつもりはないのだろうが目立つ男だった。
一介の学生にすぎない彼に名前を覚えてもらえる―― その存在を認識してもらえる――ことが、学内でのステータスになるような──氷河はそういう学生だった。

「憶えている。医学部一の変わり者」
余計な言葉は省く質らしい。
氷河は紫龍を見て、それだけを言い、それ以上何も言わなかった。

「君たちはあの年の最高の学生たちだった。あれから、我が校のレベルは低下の一途を辿るばかりで──」
追従にもとれる言葉を並べて嘆き始めた学長に、氷河は点頭ひとつしなかった。


卒院後、紫龍は精神科医の資格を得るために大学の付属病院に残ったのだが、氷河は米国に留学、帰国後すぐに父親の経営する企業の子会社を任され、それをほんの数年で親会社の資産をはるかに上回る大企業にしてしまった。
それも、選抜された数名の社員を残し、会社の他の構成員を全て他国の──主に、IT教育の行き届いた中国の──有能な人材に置き換えるという斬新な手段で、である。

切り捨てられる日本人社員の反発も相当激しかったらしいが、彼は、
「社に残りたかったら、実力を示せ」
という一言で、彼等をばっさりと切ってしまい、実際、彼のやり方は成功したのだ。



歩む道が違いすぎる二人が、そのパーティの後、再会したのは会員制のクラブだった。
約束して会ったわけではない。
付き合いが数年を経た今でも、紫龍は氷河に会うために約束などしたことはなかった。

クラブで偶然に会い、酒を飲み、会話ともいえない会話を交わして別れる。
家にもバーがある氷河が、わざわざクラブに出向いてくるのは、独りになれる時間と場所を求めてのことらしかった。
家族とうまくいっていないわけではないらしいのだが、無意味やたらに有能なこの男には、人と距離を保った場所に自身を置きたがる性癖があった。

それでも二人の交友関係らしきものが続いているのは、逆説的ではあったが、紫龍もまた氷河に対して友人として接することがなかったせいだったかもしれない。
友情の押し売りをするようなことをせず、興味深いクライアントに接するような態度を保ち続ける紫龍を、氷河は、わざわざ追い払おうと思うほどには鬱陶しく感じなかったらしい。
それだけのことのようだった。





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