酒が入っているので、車を呼んでからクラブを出た。

氷河は、今夜は家で飲んでいた方がよかったかと思い始めていた。
だが、成人した息子に余計な干渉をしてくることはないとはいえ、両親のいる屋敷で独りを楽しむことはできない。

酔狂を起こし、彼は、クラブの前から、繁華街の中心に向かって歩き出した。
運転手は、衛星測位システムで主人のいる場所を探し、追いかけてくるはずだった。


街は恋人たちの姿であふれていた。
子供を抱いた母親や、会社帰りのサラリーマンもいる。
深夜だというのに、場違いな中高生のカップルまでが、夜の街をうろついていた。

そこにいる雑多な種類の人間たちの顔のすべてに、感情を伴った表情が浮かんでいる。
連れもなく急ぎ足で目的地に向かっている者たちでさえ、例外はなかった。
例外なく、彼等は、その顔と瞳に、怒りや喜びや嘆きの片鱗を覗かせていた。

そんな感情はいったいどこから生まれてくるのだろう──?
それが、氷河にはわからなかった。
おそらくは他愛のないことで、彼等は敏感に感情を揺さぶられるのだろう。

彼等は、もしかしなくても、単純で、直情的で、抑制を知らない愚民の群れなのかもしれなかった。
その群れの一員になれたなら、自分はどれほど幸福になれるのだろう──と考えないでもない。
しかし、氷河にはそうすることはできそうになかった。


たとえば、対人的なことではなく、音楽や絵画──。
それらのものを、氷河は、教養として聴きもすれば見ることもある。
そして、だが、その価値はわかるが、心は動かされない。

自分を育ててくれた両親に対しても、氷河は、音楽や絵画に対して抱く“反応”と似たりよったりの感懐を抱くことしかできなかった。
彼らが愛情豊かで、教養も適正な判断力もあり、人格的にも優れた存在だという判断を下すことはできる。
感謝の念を抱かないわけではなかったが、しかし、彼等の愛情の有無によって、今の自分が違う自分になっていたとは思えないのだ。

優れた人間に愛情や好意を抱かない代わりに、だが、氷河は下劣な人間や無能な人間たちを軽蔑することもなかった。
そういう不必要な者たちは、無造作に切り捨てた。
それは必然的な判断であって、特に冷酷なことをしているつもりもない。

苦労して成り上がった立志伝中の人物や、人の和を後生大事と謳う経営者たちには、氷河は、老成した冷徹な経営者と評価されていた。
冷徹の自覚は、無論、ない。

彼等は、人の心を解さない機械のようなその計算高さゆえに、氷河がいつか破滅するだろうと言っていた──否、そうなることを期待しているようだった。
そう期待されることにも、大した感慨はなかった。





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