スズメの群れをあとにして社屋を出たリムジンが、オペラハウスの正面玄関に到着したのは、それから20分ほど後のことだった。
今回のオペラにマチネーはなく、ソワレのみの公演になっていた。

薄闇の中に、まるでライトアップされた古代の遺跡のように重々しい建物が、威容を示している。
正面玄関の脇にある竣工記念碑には、氷河の会社の名が、墓碑銘のように刻まれていた。

その石碑に一瞥をくれてからエントランスに向かった氷河に、勢いよくぶつかってきたものがあった。
それはどうやらオペラハウスの前庭を横切って別区画へ行こうとしていた子供のようだった。
自分にぶつかって弾き飛ばされそうになった子供の腕を、氷河は咄嗟に掴みあげた。


「す……すみません……!」

氷河にぶつかってきた子供が、慌てて体勢を立て直し、氷河に詫びを入れてくる。
子供と思ったのは、その小柄な体躯のための錯覚だったらしい。
一礼してから表をあげたその“子供”の顔は、高校生にはなっているように見えた。

それは、随分と綺麗な少年だった。
人なつこい瞳には翳りもなく、眩しいほどに明るい。
おそらく、この“子供”は、豊かな感情の持ち主で、日々の生活に虚無感など覚えることもないのだろう。
彼は、生気に輝いていた。


「瞬、早く来いよ! 映画、始まっちまうだろ! 最後の上映、7時からなんだぞ!」
「星矢が近道しようなんて言いだしたからじゃない! 今、行くってば……!」
友人らしい少年に呼ばれて、彼は駆け出した。
友人の許に近付くにつれ、速度を徐々に落としたその少年は、最後に友人の前で立ち止まった。

「どーしたんだよ?」
彼の友人が、その様子を見て、不思議そうに眉をひそめる。

「うん……。今、僕がぶつかったひと、すごく綺麗なひとだった」
「へ?」

星矢と呼ばれたもう一人の少年が、距離をおいた場所からではあったが、氷河に無遠慮な視線を投げてくる。
「綺麗って、ガタイのいいにーちゃんじゃん」
「うん、そうなんだけどさ」
「瞬、おまえ、そんな趣味あったのか?」
「綺麗なひとを綺麗って言って、何がいけないの」
「わかった、わかった。とにかく急ごうぜ!」
「うん……」

あまり礼儀を心得ているとは思えない友人に促されて、その少年は、氷河に背を向け、再び友人と共に駆け出した──。





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