「ご面倒をおかけいたします」 外国訛りのない流暢な日本語でそう告げてから、彼は、きっちり30度上体を傾けて、まるで機械仕掛けの人形のようなお辞儀をした。 どこからどう見ても、20歳の綺麗な顔立ちの青年で、到底1925年生まれの老人には見えない。 その鉱物のように堅い仕草が、彼の身に着けているスーツを軍服に感じさせ、瞬は、彼から鉛やブリキでできた兵隊の人形を連想した。 もっとも、彼は、軍人にあるまじき長めの金髪の持ち主で、その顔は、ブリキの人形などよりはるかに出来の良いものだったが。 「60年分の歴史は、瞬に聞いてくれ」 彼を瞬の家に案内してきた紫龍は、それだけ言うと、戸惑う瞬の許に、78歳の青年と彼の当座の生活費を残して、さっさと仕事に戻っていってしまった。 瞬は、我ながらぎこちなさの極みと思える態度で、彼を居間へと案内したのである。 長い沈黙で、二人の間に置かれた紅茶がすっかりぬるくなってしまった頃、彼はやっと口を開いた。 「日本は――あの大戦に負けたとか」 「はい」 そこいらへんの教育も、紫龍は本気で瞬にすべて任せるつもりでいるらしい。 瞬は、高校の歴史の授業が第二次大戦の章に行く前に学年末を迎えた事実を思い出して、内心冷や汗をかいていた。 もっとも、続いて彼の口から出てきた質問は、歴史の教科書を最後まで学び終えていたとしても、答えることのできないような質問だったのだが。 「それで、男子が激減したのだろうか」 「え?」 「研究所を出てから、こちらに着くまで、車の窓から見えるのは女性ばかりだった」 「?」 瞬は、彼――氷河という名前だった――の言葉に、首をかしげた。 そんなはずはない。 戦時中、終戦直後ならともかく、今の日本では、男女の人口比は大して変わらないはずだった。 「混血も進んでいるようだが、日本は、やはり、英米やソヴィエト――ロシアの植民地として、今も辛い状況にあるのだろうか?」 母の祖国が、父の祖国を虐げているのかもしれないという推察が、彼の表情を苦渋で覆っているらしい。 何か誤解が生じているようだと訝りつつ、瞬は、彼に探り入れてみた。 「戦争中や終戦直後ならともかく、今の日本は、女性だけなんてことはないと思いますけど……」 「しかし、通りを歩いているのは、長髪の者ばかりだった。髪もみな、茶色や金色で」 その言葉を聞いて、瞬はやっと彼の誤解の訳を理解した。 彼は、髪を脱色したり染めたりしている日本人の群れを見て、勘違いしてしまった――のだ。 彼の生きている時代の日本人の男子は、ほとんどが坊主頭だったに違いない。 この分だと、彼は、紫龍の無意味やたらな長髪も、反戦・反軍部の意思表示と思っているのかもしれなかった。 |