true power






神々と人間が親しく行き来していた時代のことです。

世界の北の果てには、ヒュペルボレオイと呼ばれる民人たちの住む国があり、南には、エチオピアという、神々の祝福を受けた人々の住む国がありました。
西の果てには、エリシオンの野、東には、大洋河から曙と太陽と月の昇る門。
そして、世界の中心には、神々の暮らすオリュンポス山と、聖地デルポイ。

太陽の二輪車を御することを望んだ太陽神の子パエトーンが、危うく世界を焼き尽くしかけ、その熱でエチオピア人たちの肌を黒く焼いてしまうという事件を起こす数百年前。


その頃エチオピアを支配していた王の許に、オリュンポスの大神ゼウスからの使いが訪ねてきていました。

気性が穏やかで徳の高いエチオピアの民は、オリュンポスの神々に大変好意を寄せられており、王はオリュンポス山にある神々の館の宴に招かれることもたびたびでした。
ですから、エチオピアの王は、その使いを迎えた時には、今度も神々の宴への招きだと思っていたのです。

ところが、使いの用向きは、王の推察とは随分と趣を異にしたものでした。
ゼウスからの使いは伝令神ヘルメスでしたが、オリュンポス12神の一柱であり、ゼウスの息子にして盗人の神でもある彼は、エチオピアの王の前に出ると、意味ありげな笑みを浮かべながら、
「今日はデルポイの神託を伝えに来たんだ」
と言ってきたのです。

「デルポイの神託?」
「まあ、デルポイの神託と言っても、もともとは、我が父ゼウスの希望なんだが、ヒュペルボレオイの国の王を3年間ほど、エチオピアの宮廷で預かってほしいんだ」

アトラスの娘であるマイアとゼウスの間に生まれた早足の神が、大変気安い口調で告げるゼウスの“希望”は、人間にとっては絶対の命令でした。
大神ゼウスは、その気になれば、人間の世界を瞬時に滅ぼすことができるほどの力を持った、神々の父でしたから。

「預かる、とは……?」

ヒュペルボレオイの国は、地上で最も広い地域を有した強大な国です。
その国の王ともなれば、地上においては最大の力を持つ人間、神々に次ぐ力を持つ存在です。
それを3年もの長きに渡って他国に預かってほしいとは、ゼウスの“希望”は尋常のことではありません。

神々の力を借りずに、人間の足でヒュペルボレオイの国に行こうとすれば、エチオピアからは数ヶ月、へたをすれば1年以上の月日がかかります。
その旅の間にも、何の事故も起こらないとも限りません。
ヒュペルボレオイの国は、エチオピアの民にしてみれば、まさに地の果てにある国、考えようによっては神々の住むオリュンポスの山よりも遠い場所にある国でした。

「ヒュペルボレオイの王が、オリュンポスで、少々神々に不敬なことをしてね。父は罰を与えようとしたんだが、地上で最も強大な国の王をどうこうすると、地上の規律と調和が乱れるかもしれないだろう? で、運命の神に相談してみたら、エチオピアの王弟の奴隷として3年間を過ごす罰を与えよという神託を出すのがいちばんの良策だろうということになったんだ」

「シュンの奴隷に?」
「過去に前例のないことじゃない。我が父とアルクメネの間に生まれたヘラクレスが、狂気に陥ってオイカリアの王子イーピトスを殺害した時に、彼は、デルポイの神託を受けて、リュディアの女王オンファレーの奴隷として3年間を過ごしている」

その話は、エチオピアの王も聞いたことがありました。
その際、ヘラクレスは女王オンファレーを誘惑して、子供まで成しています。
はっきり言って、あまり好ましい前例ではありませんでした。

それでなくても、神のように永遠の命がないだけで、神にも匹敵する力を持つヒュペルボレオイの王を、王の賓客として迎えるならともかく、王弟の奴隷として迎えるなど、気軽に承諾できることではありません。

そもそも大神ゼウスは、気に入らなければ、どれほど強大な国だろうが王だろうが滅ぼし去る力を持っています。
事実、彼は、これまでに幾つかの国や王家を滅ぼしてきました。

神々に不敬を働いた者に、そういう罰を与えないのは、ヒュペルボレオイの王の父が実はゼウス本人だからという噂を裏打ちしているように、エチオピアの王には思えました。
へたに扱いを間違えると、とんでもないとばっちりを受けることにもなりかねません。

「我が国では、とてもそんなことは――」
「ゼウスの命令は絶対だ」


ヒュペルボレオイの国の王に次ぐ地上の権力を持つエチオピア王も、神々の父の命令には逆らえません。
嫌な予感を覚えつつも、彼は、ヘルメスが伝えてきた大神ゼウスの“希望”を受け入れるしかなかったのでした。






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