ヒョウガがシュンの許にやってきてから、あっという間に数ヶ月が過ぎていきました。 シュンは、ヒョウガが本当は地上で最も強大な権力を持つ王なのだということを、決して忘れてはいませんでしたが、日々を共にするうちに、随分と彼に打ち解けてきていました。 それで、シュンは、ある日、ヒョウガが自分の許に奴隷としてやってきたその日からずっと不思議に思っていたことを、彼に尋ねてみたのです。 「聞いてもいいですか? ヒョウガはどうして、こんな罰を受けることになったの?」 「ん? ああ、あれは、ちょうどゼウスが人間界の女に手を出して、例によって嫉妬に狂ったヘラが、その女にひどい仕打ちをした時で――それを諌めたら、人間の分際で不敬だと言われてしまったんだ」 「そ……んなことで……?」 ゼウスの浮気相手に対する、彼の正妻ヘラの嫉妬と、女性たちに向けられた過酷な仕打ちについては、シュンも、その噂を聞くたびに胸を痛めていました。 けれど、その思いを口にする勇気は、シュンにはありませんでした。 神々の機嫌を損ねたら、自分の国がどんな目に合わされるかわからないからです。 その勇気を持った人を奴隷に堕とすなど、シュンには、ヒョウガへの罰は到底素直に認められるものではありませんでした。 「僕……ゼウス様かヘラ様に、ヒョウガの減刑をお願いしてみようかしら……」 非難ではなく請願なら、神々も人間の言うことに多少は耳を傾けてくれるかもしれません。 シュンは、心許なげな目をして、呟きました。 が、ヒョウガが、即座に、そんなシュンを制します。 「おまえの国の民のことを考えるなら、やめておけ。今回のことは、俺にもいい教訓になった。俺は、大人になりきれていなかった。俺がすべきだったのは、神々を糾弾することではなく、彼等の行動を正すべく努力することだったのに」 「ヒョウガには、神々の間違いを間違いと指摘するだけの勇気と優しさがあっただけです」 「……しっ」 「え?」 ふいに自分の唇に指を押し当てられて、シュンはびっくりしてしまいました。 シュンの唇に添えた指を離さずに、ヒョウガが首を横に振ります。 「おまえがそんなことを言ったことがオリュンポスの奴等に知れたら、今度はおまえが誰かの奴隷にされてしまうかもしれない。俺には、そんなことは耐えられない」 「ヒョウガ……」 その“耐えられないこと”を耐えているヒョウガに、我が身の心配をされてしまったシュンは、ひどく切ない気分になりました。 シュンの心を察したのか、ヒョウガが微かな笑みを目許に刻みます。 「それに、俺は減刑などされては困る。俺は叶うことなら、永遠にシュンの奴隷でいたい」 「ヒョウガ……でも……」 仮にも一国の王が、他国の子供の世話をさせられているのです。 シュンには、ヒョウガのその言葉を心底からのものだと思うことはできませんでした。 瞼を伏せてしまったシュンをじっと見詰めて、けれど、ヒョウガは更に言い募りました。 「本当に、辛いとは思っていないんだ。初めてシュンの優しい姿を見た時からずっと──俺は我が身の幸運を喜んでいる」 「あの――」 “耐えられないこと”を幸運と言い切るヒョウガに驚いたシュンが、その顔をあげた時、シュンの唇は、今度はヒョウガの指先でないものに触れられていました。 シュンはこれまでにも幾度か、隷従の意思を示すために、手や爪先にヒョウガのキスを受けたことはありましたが、これは、奴隷が彼の主人にしていいことではありません。 驚きに目をみはったシュンの唇から、ヒョウガの唇はすぐに離れました。 「すまない。俺は今、おまえの奴隷なのに」 「あ……あの、いえ、僕、ヒョウガのこと尊敬してますから、だから、あの……」 真っ赤に頬を染めたシュンの言葉に驚かされたのは、今度はヒョウガの方でした。 「尊敬――だと?」 「ヒョウガは立派なことをなさっただけなんだと知って、安心して――嬉しかった」 奴隷にあるまじき行為を責めるどころか、シュンは嬉しそうに目を細めて、ヒョウガにそう言いました。 「…………」 シュンに、信頼と尊敬の色の混じった眼差しを向けられたヒョウガは、けれど、なぜか急に暗い表情になってしまったのでした。 |