「ヒョウガ、誰かいるの?」

ヒョウガの投げつけた杯が壁に当たって割れる音を聞きつけたのは、ちょうど彼の部屋に、自分の就寝を告げに来た、ヒョウガの小さな主人でした。

シュンの遠慮がちな声を聞いたヘルメスが、すぐに姿を隠す兜を頭にかぶります。
それで、盗人の神の姿は人の目には全く見えなくなりました。

北の国から運んできた毛皮の上で上体だけを起こし、なにやら激した表情を呈しているヒョウガの様子を見て、シュンが小首をかしげます。
「ヒョウガ、どうかしたの?」

姿を消してしまったヘルメスが、シュンの上に視線を据えたヒョウガの側に来て、その耳許に、
「おまえも、おまえの軽蔑する好色な神々と同じだよ」
と、嘲るような囁きを吹き込みました。

「違う……」
「ヒョウガ、どうかしたの」
「違う……はずだ」

自分の内にある思いを否定するほどに、その思いは強くなっていくものです。
まして、ヒョウガの内心の葛藤など知りもしないシュンが、すんなりと伸びやかな手足をむき出しにした夜着を身に着けて、警戒する様子もなく彼の奴隷の側に近寄ってくる様を見せられてしまっては。

次の瞬間、ヒョウガは、自身の言葉に反する行動に出てしまっていました。
心配そうな目をして差し延べられたシュンの腕を掴みあげ、ヒョウガはそのまま、シュンを自分の身体の下に引き込んでしまっていたのです。

「ヒョウガ…… !? 」

突然の乱暴に驚いて抵抗することすら思いつかずにいるシュンの夜着は、ヒョウガの手によって、すぐに引きはがされてしまいました。
そして、シュンの白い肢体を目に映してしまったら、もはや、ヒョウガの自制は利きませんでした。
シュンの抗議の声も、恐怖のためにシュンの身体が固く強張ってしまっていることも、ヒョウガにはもうどうでもいいことでした。

初めてシュンに出会った時からずっとヒョウガの中にあった欲だけが、今のヒョウガを支配し、ヒョウガはそれをシュンの中に注ぎ込むことにだけ夢中になってしまったのです。

シュンの悲鳴を耳にしたヒョウガの奴隷たちは、もちろん、主人の行動を制止することなど考えもしませんでした。
彼等は、主人の狼藉に気付かない振りをして、急いでシュンの声の届かないところに逃げ去りました。


ですから、ヒョウガの激情に翻弄され尽くして、身体の自由も意識も失ってしまったシュンの無残な姿を最初に見付けたのは、ヒョウガがやって来るまでシュンの警護の役を務めていたエチオピアの兵たちでした。

「貴様、奴隷の分際でっ!」
それでなくても、裏表の甚だしいヒョウガの態度に憤りを覚えていた彼等は、侵すべからざるものを侵された怒りのままに、シュンの横にいたヒョウガを捕えてしまったのです。


兵たちからの報告を受けたエチオピアの王は、
「確かに、そなたは地上に並びなき強大な国の王だ。しかし、シュンの奴隷でもあったはず。いや、そうでなかったとしても、この狼藉は許されることではない。神々とて許すはずがない」
と、それだけ言って、王宮から遠く離れた場所にある、他に罪人の一人もいない石の牢に、ヒョウガを繋いでしまったのでした。






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