シュンが、ヒョウガの繋がれている冷たい牢獄を訪れたのは、ヒョウガが牢に囚われてしまってから数日が過ぎてからのことでした。
初めて知らされるにしては酷烈に過ぎたヒョウガの乱暴から立ち直るのに、シュンはそれだけの時間を要したのでしょう。

「ヒョウガ……大丈夫ですか」
「シュン……?」

自らの犯した罪を悔いるより、シュンに怖れ嫌われてしまったのではないかと、そのことだけを懸念していたヒョウガは、思いがけず優しい響きのシュンの声に、むしろ困惑を覚えることになりました。

「来るのが遅れてごめんなさい。あの……兄さんたち、かんかんに怒ってて……ヒョウガに何をするかわからないんです。神々にお伺いを立てるつもりもないみたいで、自分たちだけでヒョウガを処罰するつもりでいて――」

「…………」
それは当然のことだと、ヒョウガは思いました。
神によって預けられた者だからといって、その罪への報復の権利まで神々に奪われてしまっては、彼等の気持ちも収まらないに決まっています。

けれど、ヒョウガが怖れているのは、エチオピアの王宮の者たちの報復ではなく、シュンに嫌われ怖れられることだったのです。
本当は、誰に対するよりも優しくしてやりたかった相手に、なぜあんな狂気に捉われて酷いことをしてしまったのか――。
ヒョウガは、今になってみると、数日前の自分自身が、まるで理解できませんでした。


「牢の見張りをしていた人にお願いして、無理を言って入れてもらったんだけど、そうしたら――」

「思いがけない場所での再会ですね」
シュンの背後から、ふいに姿を現したのは、知恵と戦いの女神アテナでした。
ゼウスの娘である彼女も、当然、ヒョウガとは父を同じくしていることになります。

ほとんど食べ物も与えられずに放っておかれたヒョウガの身を気遣ったのか、彼女はすぐに用件に入りました。
「神々は、この件に関しての関与をやめました。シュンは彼等のお気に入りでもあったので、エチオピアの者たちの怒りも当然のことだと言っています。恋ゆえのこととはいえ、あなたの所業に呆れ果てて、今度ばかりは我が父ゼウスも救いの手は差しのべられないと──」

「シュン、ひどいことをしてすまなかった」
どうやらゼウスからの最後通牒を伝えに来たらしいアテナを無視して、ヒョウガは、鉄の格子の向こうにいるシュンに、自分でも今更のものとしか思えない謝罪を、呻くように口にしました。
それが無意味なこととわかっていても、ヒョウガは言わずにはいられなかったのです。

「いえ……いいんです」
シュンは、心も身体も弱っているらしいヒョウガを痛ましげに見やり、小さく横に首を振りました。

「怒って……いるんだろう?」
「いいえ……。きっと、何か僕には言えないような深い事情があったんでしょう? 僕、平気ですから……」

「…………」
すべてを諦めてしまっているようにしか聞こえないシュンの口調と言葉を聞いているうちに――いったいなぜでしょう、ヒョウガの内には突然、怒りに似た感情が生まれてきてしまったのです。

シュンが怒っていない、シュンに嫌われていないという安堵の思いより、自分がなぜあんなことをしてしまったのか、その理由がシュンに伝わっていないことへの憤りの方が、ヒョウガをより強く支配していました。

「深い事情なんてものはない! 俺がおまえを好きだということの他に、俺がおまえにあんなことをするどんな理由があるというんだ!」

「あ……あの……」
ヒョウガの怒声に戸惑ったように、シュンは幾度か瞬きを繰り返しました。
激昂しているヒョウガを見あげるシュンの瞳は潤んでいて、その睫は、やがて静かに伏せられてました。

それから、シュンの唇は――数日前、ヒョウガがまるで噛みつくように犯したその唇は――小さな呟きを零しました。
「よかった……」

「シュン……」
ヒョウガの思いは、決してシュンに通じていなかったわけではなかったようでした。

それ以上の言葉はいらなくて――シュンの寛容さに、むしろ驚愕を覚えつつ――ヒョウガの激昂は、嘘のように鎮まっていったのです。






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