「このまま、ここにいたら、ヒョウガは処刑されてしまいます。アテナがお力を貸してくださるそうです。ヒョウガをヒョウガの国にまで運んでくださるそうですから、早く逃げてください」 「俺はおまえの奴隷だ。おまえの側にいる。逃げることなどできない。まして、神の手を借りての逃亡など――」 シュンに逃亡を勧められたヒョウガは、即座にその提案を斥けました。 けれど、シュンは――どこか寂しげにではありましたが――ヒョウガに翻意を促しました。 「僕はもういいですから。僕は、もともとヒョウガを奴隷だなんて思ってませんでしたし、ヒョウガに会えただけでいいんです。早く逃げてください」 「逃げない」 「ヒョウガ……」 一度は鎮まったはずのヒョウガの感情が、また、大きく波立ち始めます。 この国から逃げるということが何を意味しているのか――それがシュンにはわかっているのだろうかという思いが、ヒョウガを苛立たせていました。 「逃げてどこへ行くんだ! 俺の国は北の果てにある。神々の力を借りなければ、おまえの国にやってくるまで何ヶ月もかかるような遠い場所だ。そんなところに行ってどうなる!」 神々の怒りを買ってしまったヒョウガには、もう神々の力を借りることも利用することもできないでしょう。 ヒョウガの激昂は、それがわかっているからこそのものでした。 「俺は、そんなにも遠くに、おまえから引き離されるのは耐えられない。死んでしまった方がましだ!」 激しているヒョウガに対するシュンの口調は、けれど、何らかの覚悟を決めた人間のそれのように静かでした。 「死んでしまったら、本当に二度と会えません。お願いですから、生きてください」 「…………」 この世の誰よりも大切で、ヒョウガにとっては誰よりも大きな力を有しているシュンの涙ながらの懇願に、ヒョウガは心を動かされないわけにはいきませんでした。 「俺のしたことを――怒っていないのか、本当に」 あまりにもシュンが――その声も眼差しも――穏やかなので、ヒョウガは尋ねずにはいられませんでした。 シュンが、小さく頷きます。 「嫌われて……乱暴されたのかと思って、悲しかっただけ。でも、そうでないのなら、いいんです」 「…………」 ヒョウガはふと、もしかしたらシュンは誰でも許してしまうのかもしれない――と、思いました。 それが、彼に恋する哀れな北の国の王でなくても、浅ましい欲望に捕らわれたただの愚かなオトコでも。 けれど、ヒョウガは、もはや、シュンの気持ちを確かめることも咎めることもできなかったのです。 彼にできたのはただ、彼自身を支配している切ない思いをシュンに告げることだけでした。 「俺がおまえを嫌うはずがない。オリュンポスの神殿で、兄と共にいるおまえを見て、俺はすぐにおまえを好きになった。俺には、おまえが神々より輝いて見えた。どんな手を使ってでも、おまえに愛されたいと思って、だから、俺はこうして――」 「なら、目的は果たされましたね。死なないでください。僕を悲しませないで」 「シュン……」 シュンの言葉は真実のものなのか、シュンに愛されたいという自分の願いは本当に叶えられたのか――それを確かめる時間は、ヒョウガには与えられませんでした。 ヒョウガが閉じ込められている石牢の入口の方から、数人の兵たちの声が聞こえてきたのです。 |