「瞬……!」

一晩、夜の街を走り回って、やっと瞬を見付けた時、俺はその姿を幻かと思った。

俺が嫌がりそうな繁華街に立ち寄った気配をあちこちに残して、俺に空気の悪い市街地を散々走り回らせたあげく、瞬は、人気のない夜のポケットパークで、俺がそこに辿り着くのをのんびりと待っていたらしい。
こんな低レベルの嫌がらせをせずにいられないくらい──瞬は、俺に腹を立てているということなのだろう。
それでも、瞬の無事な姿を見付けることのできた俺が最初にしたことは、安堵の吐息を洩らすことだったが。

俺の姿に気付いた瞬が、ぷいと横を向く。

「すまん」
俺は、瞬の前で頭を下げた。
瞬は横を向いたままだった。

「瞬。おまえがいなくなったら、俺はどうすればいいんだ」
瞬のつれない態度ごときにめげてはいられない。
家出した女房を迎えにきた哀れな亭主のように、俺は瞬に訴えた。
我ながら情けないことこの上なかったが、謝って謝って謝り倒す以外に、その場で俺にできることはなかった。

頭を下げたままの俺を無言で眺めていること約2分。
2分間の生殺しに似た時間が過ぎた後、瞬は、やっと口を開いてくれた。
「――反省した?」
「地獄の底より深く反省した」
「そんなとこまで行かなくていいよ」
「それで、おまえが俺を許してくれるのなら、俺はどこにでも行くぞ」

釣った魚にエサはいらないなんて、どこの阿呆が言ったセリフだ。
いや、そもそも釣られた魚は瞬ではなく俺だった。
俺は、そのあたりの認識を、根本的に間違えていたんだ。

瞬は、俺に──自分が釣った魚に──毎日、たくさんのエサをくれていた。
なのに、俺は、釣られた魚の分際で、俺を飢えさせないために毎日俺の世話をしてくれている瞬への感謝の気持ちを忘れてしまっていたんだ。

「僕はね……プレゼントが欲しいわけでもないし、氷河に『おめでとう』って言ってほしかったわけでもないんだよ。ただ、覚えていてほしかっただけなんだ。氷河は覚えててくれるって思っていただけなんだから……!」
瞬が、そんなことをする必要もないのに、まるで弁解するように、俺を責めてくる。

「なのに、氷河ってば、僕の誕生日を覚えてるどころか、いつもとおんなじように僕をベッドの中に引きずり込んで、やることやったら、そのまま満足してさっさと眠っちゃって!いったい氷河は僕を何だと思ってるの!」
「……面目ない」

瞬が求めていたのは、年にたった一度だけのその日を俺が覚えていること──ただそれだけだった。
なのに俺は、今日という日を――いや、もう昨日か――瞬の誕生日を──すっかり忘れていたんだ。
俺にとっての、Dies Natalis Invicti を。

瞬が、半ば項垂れている俺をちらりと盗み見る。
「迎えに来るにも手ぶらでくるし、ほんと、気が利かないったら……!」
「しかし、俺はそれどころじゃ……」

9月9日24時。
いい気分で寝入ったところで、俺は頭に強烈な一撃を食らった。
その日の終わるまで、もしかしたらと期待していたらしい瞬の、渾身の一撃を。

それからすぐに服を着て、城戸邸を飛び出した瞬の後を追いかけるように、俺は夜の街に飛び出した。
機嫌取り用のプレゼントを用意している暇なんか、あったはずがない。

「え?」
そして、もちろん、俺の征服者は、俺のそんな弁解を許してくれるはずもなかった。
瞬は、見苦しい言い訳に走った俺を、ぎろりと横目で睨みつけた。

「あ、いや、もちろん、夜が明けたら、すぐにプレゼントを買いに行くつもりだぞ、俺は」
そう言うしかないじゃないか。
瞬は、強大な力で俺を支配する絶対神だった。

「ほんとに反省してる?」
「もちろんだ」

探るような瞬の視線が、無遠慮に俺に突き刺さってくる。
俺はひどく居心地の悪い気分を味わったが、幸いなことに、俺の絶対神は、大きな力を有しているが故にひどく寛大だった。

「ならいいよ。プレゼントなんかいらない。僕が欲しいのは氷河だけだから」
「瞬……」
俺をこんなに翻弄できるほどの強大な力を持っていながら、この寛容、この謙虚、この慈愛。
俺は、俺の神の優しさに跪かんばかりに感動した。

「氷河は氷河を全部、僕にくれればいいの。他には何にもいらない」
「俺の全てはおまえだけのものだ」
「ほんと?」
「疑うのか」

「……ううん。ごめんね、癇癪起こして」
瞬の表情は、穏やかで優しげな、いつものそれに戻っていた。
自分の暴挙を恥じるように伏せられた睫毛は、むしろ頼りなげで──そこにいるのは、争いへの嫌忌以外のことでは他人に従順で素直な、俺の見慣れた瞬だった。

だから。
俺はその時、瞬が機嫌を直してくれたのに安堵し浮かれて、瞬が求めるプレゼントの真の意味にまだ気付いていなかったんだ。






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