ほんの2年ほど前まで、俺は、売れない風景画家だった。 事の起こりは、とある場所で、とある女優と知り合ったことだった。 俺は名も知らなかったが、数年前まではどんな役でもそつなくこなす子役としてそれなりに売れていた女だったらしい。 『昔神童、今ただの人』を地でいっているようなその女優が、売れない絵描きたちの溜まり場にやってきて、どういうわけか俺に目をつけ、裸体画の依頼をしてきた。 いや、どういうわけかも何もない、単にあの女は俺を誘惑する口実が欲しかっただけのようだったが。 風景と静物が本業だった俺は、当座の生活費稼ぎのためにその仕事を引き受け、そして、注文品を完成させた。 無論、あくまでビジネスライクにだ。 そもそも、あの女は俺の好みじゃなかった。 落ち目の女優がヌード写真集で人気回復を図る──というのは今時流行らないし、実際、写真集を売りに出す出版社側も、最近では、相当の売上げが期待できるタレントでないと、そんな企画には乗らないようになっているらしい。 あの女優は、裸になって話題を提供し人気を回復させるという浅ましい目的のために、実に古臭い方法を採ったわけだが、そのための手段が他のタレントとは違っていた。 彼女は、写真ではなく絵を使った。 彼女の着眼点は、よかったらしい。 どういう経路を辿ったのかは知らないが、俺の描いた絵は、ある日突然世間の注目を浴びることになった。 そして、その“今はただの人”に過ぎなかった女優は、見事に芸能界に返り咲いた。 もともと演技の才能には恵まれていたのだろう。 彼女は、今も、テレビにその顔が映らない日はないというくらいに、売れ続けている。 それから突然、世の中に、絵画ブーム──というより、肖像画ブーム──もっと正確に言うなら、著名人の裸体画ブームというのが起きた。 その火付け役になったのが、俺の描いたあの絵らしく、俺の許には、どこぞの女優だのアイドル歌手だのから、裸体画の依頼が毎日のように舞い込んでくるようになった。 無論、最初のうちは、そんな馬鹿げた依頼をしてくるのは、落ち目のタレントばかりだった。 俺は、内心嘲笑しながら、彼女たち(の所属事務所)からの依頼を引き受けていたんだが、そのうちに、俺でも名を知っているような大物や売れっ子から依頼が来るようになり、やがて、俺は呑気に笑っていられない状況に陥った。 何がどうなって、そういうことになったのかは知らないが、いつの間にやら、芸能界では、俺に裸体画を描いてもらうことが一種のステータスになってしまっていた──らしい。 無論、俺の絵にそれだけの価値が認められたわけじゃない。 あんな手抜きな絵が認められていたら、それこそ俺は芸術というものに失望していただろうが、幸いなことに、そうではなく──そうなった原因は、そこいらの俳優なんか目じゃないほどの俺の顔のせいだったらしい。 要するに、俺の顔は、俺の絵のモデルになった女たちよりもマスコミ受けしたんだ。 マスコミの力には強烈なものがあった。 俺は、世間に名も顔も売れ、ついでに、絵も売れるようになった。 一週間で描きあげた10号サイズの絵に数百万の値がつく。 タレントの裸ばかりを集めた画集は、へたな週刊誌以上の部数がさばける。 テレビ出演、週刊誌の表紙描き、文芸誌の装丁デザインにCDジャケットのイラスト描きと、次から次に仕事が舞い込み、当然の帰結として、俺の懐には金が入ってきた。 俺はいつのまにか、豪勢なマンションに寝起きする、結構な身分のアーティスト様になり、そして、いつのまにか描きたいものが描けない画家になっていた。 |