その夜、シュンは自分でも理由のわからない不安を感じながら、部屋の窓を閉じた。 晴れた夜の空に浮かぶ白い月がどこか不吉で、長くは見ていたくなかったのである。 闇だけに覆われた部屋の寝台に、溜め息と共に腰をおろす。 いつものように、“彼”に抱きしめてもらえれば、少しはこの禍々しい気分も薄れてくれるのではないかと期待して、シュンは“神”の訪れを待った。 彼は、いつものように、シュンの許にやってきてくれた。 五感とは別の感覚で馴染んだ彼の気配を感じて、シュンが安堵の息を洩らした時、ふいに、その場にシュン以外の人間の声が響く。 「窓を」 聞き覚えのある声だった。 その声が、シュンに命じる。 「窓を開けろ」 震える手で、シュンはその言葉に従った。 窓から入り込んだ白い月の光が、ヒョウガの金髪に反射して、少し金色に染まったような気がした。 「ヒョウガ……」 彼が、なぜここにいるのだろう? シュンは、思いがけない人の姿をその場に見い出して瞳を見開いたが、ヒョウガは、続くシュンの言葉を遮った。 「俺が城を留守にしていた間、ここに通って来ていた男がいたそうだな」 シュンの驚愕を無視して、ヒョウガがシュンに尋ねる。 「ど……どうして、ヒョウガがここに……」 「驚くようなことじゃないだろう。ひと月前まで、俺は毎晩ここに通ってきていた」 「え……?」 ひと月前──というと、ヒョウガが遠征に出ていった頃である。 それ以前──それ以後も──この部屋に入ってきた者は、“彼”ひとりである。 ひとりだと、シュンは信じていた。 シュンの驚く様を見てとって、“彼”が口許に皮肉な笑みを刻む。 「おまえは本当にこの世に神なんてものがいて、おまえの許に通ってきていたとでも思っているのか?」 「あ……」 「あれは、全部俺だ。少なくとも、俺が戦に行くまで、毎晩ここに来ておまえを抱いていたのは」 「ど……どうしてそんなこと……」 シュンにそんなことを訊かれること自体が、ヒョウガには、腹立たしく我慢ならないことだったらしい。 彼は、急に声を荒げた。 「どうして? どうしてだとっ !? おまえが、俺を放っぽって、神官になんかなろうとしたからじゃないか!」 「ヒョウガ……」 「おまえは神官になって、俗世の全てを放棄しようとした! それは、つまり、おまえが俗世で俺と交わることなんか望んでいないってことで、そんなおまえを手に入れようとしたら、俺はああするしかなかっただろうがっ!」 激昂したヒョウガの手が、乱暴にシュンの肩にかかる。 そのままシュンの身体を掴みあげるようにして、彼はシュンを寝台の上になぎ倒した。 「ヒョウガ……」 「だから、俺は、おまえをここに閉じ込めて、他の誰もおまえに会えないようにして、おまえを俺だけのものにしようとしたんだ」 驚くことしかできずにいるシュンの上に、ヒョウガの身体と唇が重なってくる。 「うまくいってたさ。あのトンマな神官共から、塔に通じる鍵を盗み出し、型を取って、夜には誰も登ることの許されていないこの塔に、人目に触れずに登るのは簡単だった。俺はおまえのところにやってくる神を信じず、塔の探索までやらかそうとして──誰も、その神が俺自身だなんて思いもしなかったろう」 得意げにそう言うヒョウガの声音は、同時に、屈辱に支配されているようでもあった。 「人間の俺を拒んだおまえは、俺が神の振りをしただけで、たやすく俺に身体を任せてきた。俺は毎晩、おまえを好きにすることができて、神としておまえを抱いて──」 一人の人間としては、拒絶された。 だというのに、“神”という仮面をつけた途端に、諾々としてその意に従うシュンが、その事実が、ヒョウガにはやりきれないものに感じられたのかもしれない。 月明かりの中で、彼の表情は、自嘲するように歪んでいた。 「戦に出ている間、神がおまえの許に通ってこなかったと報告されたら、神は、自分の配偶者より討伐軍の方を見守っていてくれたんだろうとでも言って、勝利を神に感謝してみせて、馬鹿神官共を喜ばせてやろうと思っていたんだ、俺は」 シュンの身体のあちこちに触れては過ぎるヒョウガの手や指の感触は、刃物のように鋭く、そして、その手は、シュンが身に着けていたものを切り裂くようにシュンの上から取り除いていった。 「なのに、帰ってきてみたら、あの馬鹿野郎共は、戦の間も、ナブ神が毎晩おまえのところに通ってきていたなんて、ありえないことを平気で言いやがった! 俺がいない間も、おまえは、カミサマのご寵愛めでたく、そのための勝利の何のと、馬鹿げたことを……!」 ヒョウガの手と視線の鋭さと熱さに身震いするシュンの首を、掴むようにして寝台に押しつけ、押さえつけて、ヒョウガは自嘲と酷薄の混じった眼差しを、シュンに向けてきた。 「こんな七面倒くさい手順を踏んで、俺は、やっとおまえを自分のものにしたのに」 微かに頼りない白い月の光の中で見るヒョウガの青い瞳は、シュンの目に、どこか狂気じみて映った。 「なのに、誰かが、俺からおまえを盗んだんだ……!」 そして、彼は、手負いの獣が呻くようにそう言った。 |