人が願い事をつぶやく対象はお星様、と相場が決まっている。 しかし、その夜は、空が雲に覆われていて地上からは星が見えず、まるで人間たちを嘲笑うように、月だけが煌々と輝いていた。 「お月様、どうか氷河を元に戻してください」 瞬が、定番のお星様ではなく月に向かってそう呟いたのは、そういう事情があってのことだったのだが、それはどうやら、月の女神のご機嫌取りの一助となったらしい。 「戻してあげてもいいわ。ただし、条件つきでね」 城戸邸のバルコニーに突然姿を現した月の女神は、すっかり生気が失われている瞬の姿を満足そうに見やりながら、倣岸に言い放った。 腹に企みを抱えているようにしか見えないアルテミスの様子にピンときた星矢が、すぐにふたりのやりとりに釘を刺す。 「その条件が、『一生××するな』とかだったら、氷河は人間に戻れても生ける屍も同然になるぜー」 「星矢、そんな失礼なことを言うもんじゃない。そんなありふれた条件を、オリンポス12神の1柱ともあろう女神アルテミスが言い出すはずがないじゃないか」 紫龍はもちろん、そのあたりのことは、星矢以上に心得ていた。 「ぐ……!」 星矢と紫龍の見事な釘刺しに、アルテミスが一瞬言葉に詰まる。 彼女がその条件を持ち出すつもりでいたのは、疑いようがなかった。 なにしろ、誰彼構わず生涯の純潔を誓わせるのは、純潔の女神アルテミスの 「もももももももももちろんよ! あ……明日、正午、月の森公園にいらっしゃい。そそそそその、貧弱なトンボも一緒にね!」 しかし、その十八番は、星矢と紫龍の機転のために使うことができなくなった。 アルテミスは、己れの面目を保つためにそう言い――おそらく、それは当座しのぎの思いつきだったろうが――少々引きつった笑いを残して、アテナの聖闘士たちの前から姿を消したのだった。 |