「おまえは、俺や俺の母を恨んでないのか」
「……?」
ヒョウガに問われると、シュンは不思議そうに首をかしげた。

「ヒョウガは優しい」
それが、シュンの答えだった。

シュンの母は、シュンの身分をシュンに知らせていなかった
ヒョウガは、そのことに感謝していた。

「おまえには希望はあるのか?」
重ねて問うと、シュンはほのかに微笑んだ。
「希望は、絶望しかけている人に必要なものでしょう。僕にはヒョウガがいる、今」

ヒョウガにそう告げるシュンの瞳は、シュンが母親を失った10歳の――あるいは、シュンがこの館に閉じ込められることになった3歳の――子供のように澄みきっていた。

シュンと一緒にいると、ヒョウガは、束の間でも、俗世の煩わしいことを忘れていられた。
心が安らぎ、少なくとも、シュンにとって、自分は必要な人間なのだと思うことができた。
それが現実からの逃避なのだということは、ヒョウガにもわかっていたのだが。

いっそ、バイエルンのように、革命でも起きて、国民に王座を追われるのなら諦めもついた。
そうであれば、王としての自分に絶望し、命を絶つこともできる。
あるいは、王位の回復のために画策することもできる。

だが、ヒョウガはこれまで、私心というものを捨て、善政と言ってよい統治を行なってきた。
ヒョウガはそのつもりだったし、事実そう評価されていた。
国民は、自国の王に不満を抱いていなかった。
ただ、時代の勢いと、強国プロイセンのごり押しで、バーデン大公国は、この地上から姿を消そうとしているのだ。

ヒョウガには為す術がなかった。
それは、逆らえる流れではない。
そして、それは、ヒョウガにとって、緩慢な死を待つようなものだった。
ヒョウガは、穏やかに、苦痛もなく、抵抗することもできないまま、王としての己れの死を受け入れなければならない。

そんなふうに、明確な窮地に追いやられないことが、ヒョウガに新しい目的や希望を見い出させてくれなかったのである。
“希望”というものを、どうやって探せばいいのかがわからない。
自分が今、何を望んでいるのかも、ヒョウガにはわからなかった。

ただ、シュンと共にいる時にだけ、ヒョウガの中からその漠然とした不安は消えていく。
自分が何ものなのかわからないという恐怖は、シュンの側にいる時にだけ、ヒョウガを苛むことがなかった。

ヒョウガはシュンより強い者で、シュンの従兄で、シュンの保護者だった。
シュンは、ヒョウガを信じ慕っているように見えた。

ヒョウガは、それ故に、事あるごとにシュンの許に逃げ込むようになっていったのである。






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