「で、これがアルテミスのヒスの素か」

『これ』呼ばわりは、わざとだったろう。
おそらくは、彼自身が有力な神であることを、下賎な人間たちに知らしめるための。

氷河は、だが、そのこと自体には不快を覚えなかった。
他人が自身の地位・立場をひけらかすために浅ましい真似をしていることをわざわざ指摘してやるほど、氷河は親切な男ではなかったし、彼にとってはどうでもいい神サマが、自分をどう呼ぼうが、彼には、それこそ“どうでもいいこと”だったのだ。
というより、氷河は、アポロンの『これ』呼ばわりを不愉快に覚える以前に、瞬との歓楽の時を妨げられ、ここに呼びつけられたことに、既に目一杯苛ついていたのである。


「アルテミスにトンボにされたのは、こっちの子かな? 彼女が妬むのも仕方ないな。こんな可愛らしい子が相手では──」
にこやかに微笑して、アポロンが瞬の頬に手を伸ばしてくる。
氷河は、無論、びしっ★ と、何の遠慮もなく、当然の権利かつ義務として、その手を叩き落とした。

「あの馬鹿女神がトンボにしてくれたのは、俺の方だ。欲求不満からくるヒステリーが深刻化しているようだったな。自制心の持ち合わせがなくて、人格は崩壊してるし、言動は支離滅裂。神とかいう輩は、どいつもこいつも無駄に長生きしているらしい」

氷河の言動の根幹には、『瞬大事』という、一本筋の通ったポリシーがある。
その点において、確かに彼の言動は支離滅裂ではない。
しかし、自制心の持ち合わせがなく、人格が崩壊している点において、彼はオリンポスの神々以上だった。

沙織が、無駄と知りつつ、険悪な雰囲気を漂わせ始めた氷河とアポロンの間の執り成しにかかる。
「氷河、みんな。こちらが今度の劇場版であなたたちと闘うことになる、アポロンよ。わざわざ挨拶にいらしてくださったの」

沙織の本心は、場を執り成すというよりはむしろ、彼女の聖闘士たちとアポロンを引き合わせるという自分の務めをさっさと終えたいだけだったかもしれない。
沙織の意図が奈辺(なへん)にあったのかは、沙織にしかわからないことであるが、いずれにしても彼女の執り成しは全く執り成しになっていなかった。






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