「アポロン? ああ、あの有名な──」
氷河が、その名に多少の関心を抱いたのか、ちらりとアポロンに視線を投げる。

その視線の先で、ギリシャ世界理想の男性美を備えた(備えているはずの)青年神が、
「ふっ」
と、気取った笑みを浮かべる。

「ギリシャ神話最大の失恋男か」
「そう、私が、そのギリシャ神話最大の失恋おと──なんだとーっっ !! 」

正面切って耳に痛い真実を告げられた時、人は、反射的に本性をさらけ出す。
神であるアポロンも、その点は例外ではなく、彼は、氷河のその一言で、それまでの気取りと余裕の態度をかなぐり捨てた。

「氷河! そんな気の毒なこと言っちゃいけないよ……!」
自分のすべきことはやり終えたと言わんばかりに、そそくさとこの会見の場から立ち去ってしまった沙織の代わりに、今度は瞬が二人の間に入っていく。

が、氷河には、自分がアポロンに“気の毒なこと”を言ったという意識が全くなかった。
彼は、自分にとって“どうでもいい”相手をいちいち気の毒に思ってやるような、親切な男ではないのだ。
「事実を言っただけだぞ、俺は」

事実だからマズいのだと口にしてしまわないだけの分別を、瞬は持ち合わせていた。
が、その時既に、アポロンの機嫌は、瞬の賢明な対応も無駄なほど、氷河によって超最悪状態にさせられていたのである。


「君は神への畏敬の念が欠けているようだな」
「尊敬できるようなことをしてもらった覚えも、畏れるようなことをされた覚えもないんでな。今すぐ、この馬鹿げた会見を中止して、俺と瞬をふたりきりにしてくれたら、感謝くらいはしてやらないでもないが」

氷河のその投げ出すような物言いに、アポロンのこめかみが、ぴくぴくと神経症的にひきつる。
彼にしてみれば、自分より二段も三段も低いところにいるはずの人間の、神を神とも思っていない不遜な態度は、許されざる不敬だったのである。
そんなことで苛つくこと自体が、自分のレベルを下げてしまっているという事実に、彼自身は気付いていないようだった。


そんなアポロンの様子を見て、完全に部外者扱いされていた星矢が、心底嫌そうに紫龍にぼやく。
「神サマって、ほんと、大人げないよな」
「その点、アテナは賢明にして聡明だ」
「氷河に意見なんて、無駄なことしないもんな」
紫龍の言葉に同意して、星矢はしみじみと頷いた。

仮にも太陽神だけあって、カッカしやすい(たち)なのか、アポロンは、まなじりを吊り上げただけでなく、肩を怒らせ、髪まで逆立てている。
そして、そんなアポロンを見ている星矢の肩は、神サマとは逆に、どんどん下に下がっていった。
「神サマって、つくづく暇なんだな。あの神サマ、こないだの女神サマの兄貴なのか?」

アポロンの意識が氷河に向いていたことは、星矢にとっては非常に幸運なことだったろう。
オリンポス12神の中でも、大神ゼウスに次ぐ有力な神という自負を持っている太陽神を知らない聖闘士がいることを知ったなら、アポロンの怒りの矛先は、今度は星矢に向けられていたに違いない。

「妹は男嫌い、兄は男女問わずの好き者だ」
「なのに、そんなに失恋してんの?」
「まあ、悲恋が多いかな」
用心深く、紫龍は言葉を選んだ。

「アポロンを拒んで月桂樹になったダフネあたりは有名だが、アポロンのしつこさに腹を立てて、奴の顔を引っかいたばかりに野アザミにされてしまったアカントスやら、アポロンから予言の力を貰うだけ貰って、結局肘鉄をくらわしたカッサンドラやら──。シヴィルの巫女には永遠の命だけ騙し取られて、やっぱり振られてるし、テッサリアのコロニスに至っては、他の男のところに嫁いだのを恨まれて、アポロンに頼まれたアルテミスに殺されてるし、他にも、アポロンより鹿の方を選んで糸杉にさせられたキュパリッソスだの、アポロンに脳天をブチ割られて死んだヒュアキントスだの──」

「もーいい、ストーップ!」

紫龍といえども、言葉を選ぶには限界がある。
そして、どれほど言葉を飾ったところで、アポロンが振られてばかりいる男だという事実は動かし難い。
星矢は、うんざりした(てい)で、紫龍の言葉を遮った。
「これ以上、んな失恋話を聞かされたら、今度の劇場版、哀れをもよおして闘いにくくなりそうだぜ」

「当人の人格に問題があるんだろう。どれほど不細工で無能な男でも、普通、そこまで失恋ばかりできるものじゃない」
氷河はもちろん、“事実”(に基づく推察)を口にしただけ(のつもり)である。

「おまえでも、瞬とうまくいってるのにな」
「氷河以上の人格破綻者かぁ。考えようによっちゃ、強敵なのかもな」

アテナの聖闘士たちは、これまでの闘いで、“神”というものが、どれほど軽薄で浅薄な生き物なのかを知り尽くしている。
彼等に、神々を尊敬しろと言っても、それは無理な相談というもので、かつ、彼等が神々を軽んじる態度を隠しきれないのは、致し方ないことではあった。






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