「あちゃ〜」 窓際に走り寄った星矢が、一面ピンクに染まった城戸邸の庭を眺め、素っ頓狂な声をあげる。 そんな星矢と、無言でピンク色の庭を見詰めている氷河とを交互に見やりながら、アポロンは、すっかり勝ち誇った顔になっていた。 「今、この庭には、ヒアシンスの花が1000株ある。この中から、あの子を間違いなく見付けだせたなら、あの子を元の姿に戻してやろう」 「選び損ねたらどうなるんだ? 瞬は枯れて死ぬのか?」 「そんなもったいないことはしない。元の姿に戻して、君の代わりに私が可愛がってやるさ」 眉を吊り上げて問い質した氷河に、アポロンは実に楽しそうに答えてくれた。 さすがは男女問わずの好き者で有名な神だけあって、根性が下劣である。 彼は、瞬の意思というものを全く考慮していなかった。 玩具売り場で駄々をこね、ついに親に目当ての玩具を買わせることに成功した子供のように得意げな顔をしているアポロンに、氷河が、卑しいものを見るような視線を投げる。 自分や他の誰かならともかく、よりにもよって瞬を、こんな馬鹿げた茶番に巻き込むことのできる男の神経は、氷河には到底理解し難いものだった。 「そう来ると思った。妹よりタチが悪いな。そういう破綻した性格だから、振られてばかりいるんだ」 吐き出すようにそう言うと、氷河は、玄関にまわる時間を惜しんで、直接窓から庭に飛びおりた。 それまですっかり勝ち誇った顔でいたアポロンが、氷河が口にした“事実”に、再びこめかみを引きつらせる。 人間ごときが口にした言葉にいちいち反応して腹を立てるから、レベルが低く見えるのだということに、アポロン自身は気付いていないようだった。 「大きな口をきけるのも今のうちだ。さあ、選べ。選べるものならな」 それでも無理に虚勢を張って、自分勝手な神サマは、殊更偉そうに、氷河に命じた。 ピンクの絨毯の脇に立った氷河が、そんなアポロンをぎろりと睨みつける。 「これって、トンボより難しいじゃんかよ! どの花もみんなおんなじ大きさだし、おんなじ色だし、だいいち動けないし! 神サマって、つくづく暇人で大人げなくて馬鹿な上に卑怯なんだな! あんたの神経逆撫でしたのは、瞬じゃなく氷河だろ! それだって、あんたが勝手に腹立てただけのことじゃないかっ!」 アポロンのやり方には、さすがの星矢も、怒りを覚えずにはいられなかったらしい。 氷河とアポロンに続いて庭におりた星矢は、我儘この上ない神サマに噛みついていった。 少しは戦闘意欲が戻ってきた様子の星矢の肩を、紫龍が引き戻す。 「星矢、落ち着け。恋と戦争においてはあらゆる戦術が許されると、フレッチャーも言っている」 「フレッチャーもサッちゃんも老師も知るかよっ! 瞬がこんな奴のお稚児さんにされちまったら、氷河の八つ当たりの被害を受けるのは俺たちなんだぞっ! じょーだんじゃねーや!」 星矢の心配の内容も、どこか次元がズレている。 が、幸い、星矢のその懸念は杞憂に終わった。 がなり声をたてている星矢の脇を擦り抜けて、ピンクの花畑の中に足を踏み入れた氷河が、すたすたと迷いもなく、ある一輪の花に向かって歩き始める。 その花の前で腰をかがめ、氷河は囁くように言ったのである。 「瞬。元に戻れ」 ――と。 |