「こちらのお屋敷は、明治の中頃に洋館に建て直されましたが、もとは武家屋敷だったんですよ。江戸時代には川越藩に仕えるご家老、明治の新政府になってからは子爵家で、この辺り一帯の大地主でもありました。江戸の中期ですかね、川越藩の家督を継いだばかりの秋元家の殿様が、こちらに鷹狩りにいらしたんです。で、その帰りに、ご家老の屋敷に立ち寄った」 まるで決められた口上を この辺りの不動産の仲介をするたびに、彼は顧客に、得意げにこの話を披露しているに違いなかった。 「ご家老には、元服を間近に控えた若君がひとりいらっしゃって、これがまた花のようにお美しい若君だったそうで。秋元家の殿様が立ち寄られた時、ご家老はお城の方に出仕してらしたので、若君が父君に代わって、殿様の接待を勤められたんです。若君の姿を見て、殿様は若君に一目惚れしてしまった。藩主になったばかりで、気負いと驕りがあったんでしょうな。惚れたとなったら歯止めがきかない。で、秋元家の殿様は、通された部屋で早速、若君を手籠めにしようとしたんですよ」 「幽霊は──」 いつ出てくるのかと口をはさみかけた俺を、不動産屋の親父は『焦るな』と指図するように、手で制した。 彼は、決まったとおりの口上を決まった通りの順序で披露したいらしい。 「ところが若君には、別に惚れた男がいましてね。ご家老に仕える藩士の一人だったようですが。秋元家の殿様に手籠めにされかけた若君は、その男に操を立て、舌を噛んで、花の命を絶ってしまったんですよ」 どうやら幽霊の正体は、その花のような姿をした若君らしい。 言うべきことを言い終えて一息ついた不動産屋に、俺は肩をすくめてみせた。 「川越藩の殿様に、家老の若君に、若君の思い人。登場人物はみんな男か」 「当然でしょう。『恋は夜、若道は昼』と言われていた時代のことです」 「で、その花のような若君が、夜毎この屋敷に化けて出るというわけか?」 設えられている家具・調度は全て洋風。 日本家屋と違って、天井も高い。 こんなところに江戸時代の羽織袴姿の幽霊など、場違いも甚だしかった。 「まあ、そういうことです。なにしろ、若君は、自分の惚れた男に操を立てるために舌を噛んだというのに、秋元家の殿様ときたら、息の絶えた若君の身体を犯したあげく、談判に向かった若君の思い人に難癖をつけて、処刑してしまったとかで──。切腹じゃなく、打ち首ですよ。 しかも首を晒した。これがまた、いい男だったらしくて、城下の娘たちがこぞって処刑を嘆いたといいますから、秋元家の殿様の評判はがた落ちです」 不動産屋は、情のない“秋元家の殿様”を半ば本気で憎悪しているようだった。 何百年前の話なのかは知らないが、彼の心情には、滅多に顔を見ることのない社長よりも、毎日顔を合わせる部課長を慕う社員の心理に似たものもあるのかもしれない。 とりあえず、企業の代表取締役として肝に銘じたい話ではあった。 |