新居の庭は、梅と杏の季節が終わり、桜の時期が始まっていた。 桜は、散り際が潔いと言われる花だが、俺は、その咲き方も潔い花だと思う。 ひとつひとつの花は桃ほどには華やかでなく、むしろ地味ですらあるというのに、その清潔さ清廉さは他の花々をはるかに凌駕しているのだ。 そんな染井吉野の白い花が、夜の闇に浮かびあがる。 花に満ちた洋館に引っ越してきて半月後のある夜、ついに俺は、 俺は、自分が、桜の花が作り出す夢幻の中に迷い込んだのだと思った。 俺が勝手に想像していた前髪立ちの小姓姿はしていなかったが──彼の姿はむしろ現代人のそれに近かった──、確かにそれは“花のように美しい若君”ではあった。 その少年の上に、そして、俺と彼との間に、桜の花びらが一枚二枚、輝き舞っては闇の中に消えていく。 「……馬鹿殿が血迷う気持ちもわかるな」 俺は思わず、虚空に向かって呟いていた。 もっと側で見たいと思った。 その頬に触れたい、とも。 不思議に、恐怖心は湧いてこなかった。 花の精のような幽霊は、一途な澄んだ眼差しをしていたが、それはまた聡明そうな眼差しでもあった。 当時の武士階級の者たちがどういう価値観を持ち、何を美しいと認めていたのかを、俺は知らない。 ただ、これほど聡明そうな少年に死を厭わせなかった恋が、いったいどんなものだったのか──それを思うと、胸がしめつけられるような思いに捕らわれた。 彼は、じっと俺を見詰めていた。 まるで俺の心を探るように。 そして、見透かすかのように。 惚れた男の首というのは抱えていなかった。 彼がそんなものを抱えていたら、俺は嫉妬心から、それを地面に叩き落としていたかもしれない。 秋元家の馬鹿殿様でなくても、こんな美しい花に慕われている幸運な男がこの世に存在することを知ったなら、殺してやりたいと考えるのは当然のことだと思った。 彼は、その夜から、毎夜毎晩、桜の下に現れた。 俺は庭に面した部屋の中で、彼は桜の木の下で、互いに言葉も交わさずに見詰め合う夜が続いた。 |