「どうして、あの家に住んでいられなくなったんだ」
幽玄の世界から、少しずつ現実世界に戻りながら、俺は瞬に尋ねた。
瞬の家が、自治体に総合病院を建てられるだけの土地をポンと寄付できるほどの豪家だというのなら、経済的な破綻がその理由とは思えない。

実際、こんな事態になったのは、そんなマトモな・・・・ことが原因ではなかったらしい。
俺は、そうして、不動産屋が『出る』と言ったのは、幽霊ではなく、幽霊に取りつかれた生きた人間たちのことだったという事実を知ることになったのだった。

「あの昔話を題材にして、推理小説を書いた人がいたらしいんです。で、昨年の暮れ頃から、その作品のファンの女の子たちが、何をどうやって調べたのか、あの家に押しかけてくるようになったの。無断で家の庭に侵入されるようなことが頻繁に起こって、それだけならまだよかったんですけど、僕の姿を見て、幽霊だという噂を立て始める始末で──」
推理小説ファンを名乗る少女たちは、しまいには“幽霊”の待ち伏せを始め、補導騒ぎまで起こしてしまった──ということだった。

「通学にも車で送り迎えしてもらわないと危険なくらいで──。思い込みの激しい女の子って、行動も過激なんですね。僕があそこにい続けると、みんなに心配をかけるだけなので、別宅に避難することにしたんです。でも、人が住まないと家は荒れるというでしょう?」
そういえば、俺の雇っている運転手も、この辺りには妙に若い女の姿が多いと訝っていた。

俺は──そんなことは、気にもしていなかった。
俺は、花が運んでくる思い出と、自身の迷いだけに囚われていた。
そして、夜毎に俺の許を訪れてくれる花の姿に心を奪われていたんだ。

花の精ではなく、幽霊でもなく──生きた人間として見ても、瞬は尋常でなく綺麗な生き物だった。
だが、魔法なり仙術なりをかけられたのでなければ、ろくに言葉を交わしたこともない相手を恋するなんてことは、あっていいじゃない。
俺も、瞬も、だ。
それなのに。

瞬が生きている人間だと知っても、俺にかけられた花の魔法は解けなかった。
瞬に惹かれる俺の心は、不思議に霧散しなかった。
俺は、そんな自分自身が理解できず、そして、これから俺が為すべきことが何なのかもわからなかった。

「で、俺はこれからどうすればいいんだ?」

瞬のことも、父のことも、俺自身のことも──。
俺は、これからどうすればいいんだろう?

「え……?」
それは、あまりに漠とした問いかけだったのだろう。
答えを求められた瞬が、戸惑ったような目をして、微かに首をかしげる。

「本当に迷っている。答えがわからない。一目惚れなんて、そんな浅薄なことを、この俺がするはずがない。俺は幽霊はともかく、運命なんてものは信じないぞ」
人となりを知らない相手に、まるで定められた運命か何かのように恋することも、奴の息子であることを自ら望んだわけでもないのに、断ち切れない父との関係も、俺にはただ“不条理なこと”でしかなかった。
そんなものに、なぜ俺が、こんなにまで囚われなければならないんだ。






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