まさかあの瞬に限って──と、自身の飛翔しまくる想像を打ち消しつつ、氷河は、星矢と紫龍をその場に放っぽって、城戸邸に戻った。 瞬はやはり、先に城戸邸に帰ってきていた。 どこか思い詰めたような目をして、珍しく誰もいないラウンジのソファに腰をおろしている。 その姿が視界に入った途端、氷河の興奮状態は、なぜか急激に沈静した。 「瞬」 何事かを考え込んでいる様子の瞬に、一瞬ためらってから、氷河は声をかけた。 「何かあったのか?」 「あ……氷河。え? どうして?」 尋ねられて初めて、瞬は氷河がそこにいることに気付いたらしい。 弾かれたように顔をあげた瞬は、二、三度瞬きを繰り返してから、氷河に問い返してきた。 「いや、何か考え事をしているように見えたが」 まさか、『おまえのあとをつけて、奇妙なデートシーンを目撃した』と、本当のことを言うわけにもいかず、氷河は適当に瞬の反問をはぐらかした。 「あ、ううん。別に……」 瞬もまた、氷河と同じように、答えをはぐらかそうとした──らしい。 だが、しばしの間を置いてから、瞬は再び口を開いた。 「氷河……」 「なんだ」 「うん、あのね……」 それでもまだ少し躊躇する様子を見せた瞬が、やがて意を決したように氷河に尋ねてくる。 もっとも、それは、意を決した上での相談事にしては、ひどく具体性を欠いたものではあったのだが。 「氷河のすごく大切な人が、氷河に、氷河がすごく嫌がるようなことをしてほしいって思ってるとしたら、氷河はどうする?」 「…………」 漠然としすぎている瞬の相談は、恋する者の想像力をとんでもないところにまで飛翔させた。 すなわち、『瞬は、あの老紳士に、瞬が嫌だと思うような行為を求められて悩んでいるのだ』──と。 氷河は、しかし、自分の想像の飛翔の成果を、瞬の前に披露するわけにはいかなかった。 何も知らない顔をして尋ね返すこと以外、今の氷河にできることはなかった。 「嫌がることの内容にもよると思うが」 「あ、そうだよね。うん……あの……別に誰に迷惑がかかるようなことでもないんだ。ただ僕があんまり嬉しくないっていうか、あんまりカッコよくないっていうか、ちょっとシャレにならないっていうか……」 仮定形で始まったはずの悩み相談が、いつのまにか、瞬自身の相談事になっている。 瞬は、だが、そのことに気付いていないようだった。 そして、瞬の悩み事は、そのまま氷河の悩み事だった。 氷河の大切な人(=瞬)が、氷河に、氷河が嫌がるようなこと(=他の男に関する、おそらくは恋の悩みへの助言)を求めている──のだ。 氷河は、 「……おまえが、おまえの大切な人を、どれだけ大切に思っているかが全てなんじゃないか。その嫌なことを我慢できるほど大切なのか、我慢できない程度にしか大切じゃないのか」 ──と答えるしかなかった。 本当のところは、『悩むくらいなら、そんな奴と関わり合うのはやめてしまえ!』と怒鳴ってしまいところだったのだが。 瞬が自分以外の誰かのために思い悩んでいること自体が、氷河には不愉快でならなかったのだが。 「…………」 氷河の助言を得た瞬が、また黙り込む。 深刻な表情で考え込んでいた瞬は、やがて、ゆっくりと顔をあげた。 「そうだね」 そして、瞬は、氷河に大きく頷いて、何かが吹っ切れたような声音で明るく言い放った。 「ありがと、氷河。僕、決めた!」 (瞬……!) 瞬が何を決意したのか──それは氷河にはわからなかった。 ただ、瞬が“決めたこと”が、氷河自身には全く無関係な事柄だということだけは確かで、それが氷河をひどく切ない気持ちにさせた。 馬鹿なことを言ってしまったと思う。 だが、氷河にはそれくらい──恋する男の我儘を爆発させることを我慢してしまえるくらい──瞬が大切だったのだ。 |