「しかし、氷河。ああいうことを瞬の前で言うのは得策じゃないぞ。不誠実な男だと思われる」

『ジゴロ』から『シベリアで墓守り』まで容易にこなしてしまうであろう特異な男に、紫龍が助言できる分野があった。
いわゆる、一般常識、社会通念、損得勘定、思慮分別という分野である。

もっとも、今の氷河には、そんなことを聞く耳の持ち合わせもないようだったが。
「──俺たちはこれから全員ばらばらになって、それぞれの人生とやらを歩み始めることになるそうだからな。瞬にどう思われようが……もう、どうでもいい」
「そう、捨て鉢になるな」

捨て鉢にならずに、ではどうしろというのか。
氷河は、紫龍の慰撫の言葉に、舌打ちを返した。

普通の人間らしい生き方、闘いのない日々、社会的に認められる地位を得ること──。
そんなことにどれほどの意味と価値があるのかと、氷河は憤っていた。

聖闘士という馬鹿げた商売を続けていさえすれば、多少の危険はあるにしても、氷河は瞬の側にいることができ、いつもその姿を見ていることができ、一緒に闘うことも、万一の時には守ってやることもできる。
共に死ぬことさえ、かなりの確率で実現可能なのである。

現在のその幸福な状況を継続できなくなるということは、氷河にとっては不幸以外の何ものでもなかった。

「何が自分自身の人生だ! 平和も夢も希望も未来も何もかも糞くらえだ……!」
あまり上品とは言い難いセリフを吐き捨てて、乱暴な足取りで氷河が部屋を出ていく。

その剣幕に、星矢は大仰に肩をすくめてみせた。
「氷河って、そんなにバトルが好きだったのかぁ?」
「いや、氷河が好きなのはバトルではないと思うが」

星矢の頓珍漢なコメントに、紫龍が顔をしかめ、そんな紫龍に、星矢は顔をしかめ返した。

「冗談だよ。氷河が好きなもんが何なのかぐらい、ドーテーの俺だって知ってらぁ」
星矢はすっかり、清らかな・・・・自分に開き直ってしまったらしい。

「でも、こればっかりは、氷河の一存でどうにかできることじゃないからなぁ……」

そこが、いちばんの問題だった。






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