「考え事をするのに最適な場所の3Bは、Bath、Bed、Bus だろう」
「最近は、バルコニーを加えて4Bなんだって」

そこは瞬の部屋から続くバルコニーだったのだが、ふいに降ってきた氷河の声に、瞬はあまり驚きはしなかった。
彼が何のためにここに来たのかも、部屋に入る時にノックをしなかった訳も、いちいち訊くのも野暮だと思い、尋ねなかった。

氷河は、自分の人生というものに悩んでいる仲間を心配して、わざわざここまで足を運んでくれたに違いないのだから。
これまで、いつもそうだったように。

代わりに、瞬は、小さな苦笑を口許に刻んだ。
「頭を冷やして、色々考えてみようと思ったんだけど……。でも、もう、そういう季節じゃないね。夜でもあったかい」
「そうだな」

見上げると、群青色の空には春の星座が瞬いている。
仲間を気遣ってやってきてくれた氷河の厚意に、瞬は甘えることにした。
今は、話を聞いてくれる相手がいるだけでも有難かった。
アテナの聖闘士たちはまだ散り散りになったわけではないというのに、瞬は妙に人恋しい気分になっていたのだ。

「僕──」

氷河は、瞬の部屋とバルコニーを区切るガラス扉の框に軽く寄り掛かり、無言で瞬を見詰めている。
その氷河に向かって、だが、半ばは独り言のように──自分の考えを整理するために──瞬は口を開いた。

「僕、こんなふうに静かで穏やかな時間って好きだよ。こうなることを──平和になることを、いつもずっと望んでた。聖闘士として、人類の一員として。でも……」
望んでいた事態だったのだ、今この時、この状況は。

「でも、僕は、氷河や星矢や紫龍や兄さんや──信頼できる仲間といつも一緒にいられて、同じ信じるもののために闘って、傷付いたり、守ったり、守られたりする、そういうことが……そういう時間がとても大切で、とても好きで──」

相槌を打つことさえせずに、迷える仲間を見詰めている氷河を、瞬は見上げた。
氷河の青い瞳は、時々感情が読み取れなくなる。
それが今は、どこか寂しげな光を宿しているように見えた。

これまでどんな時にも一緒にいた仲間たちのそれぞれの人生というものを考えなければならない今の状況を、氷河もまた寂しく感じているのだと、瞬は思った。
そして、さほど遠くない未来には、この氷河とも一緒にいることが当たり前なことではなくなるのかと思うと、瞬の中にあった寂寥感はいや増しに増し、そして、瞬はとてつもなく不安になった。

「聖闘士としての僕は平和を望んでいたけど、僕個人の幸せは、氷河たちと一緒にいられることだったみたい。今更、自分の人生を考えろなんて言われても……本音を言うと、困るんだ」
バルコニーの手摺りに背をもたせかけ、瞬は小さく吐息した。

「僕は、今がいい。今のままがいい。今のままでいたい。こういうのって、自分の人生から逃げてるってことになるのなのかなぁ」

氷河が同感してくれることを、瞬は期待していた。
が、氷河は相変わらず沈黙を守り、言葉の先を促すように、瞬を見詰めているだけである。

「僕、人を傷付けることは嫌いだったけど、何かと闘うことは好きだったみたい……。あんなに平和になることを望んでいたのに、いざそうなっちゃうと気が抜けた気分になって、自分の人生をどうこうなんて漠然としたことより、もっと切羽詰まった感じで、闘う相手や解決しなきゃならない問題がほしいなんて思っちゃうんだ……」
僕はつまり平和慣れしてないのかな? と呟くように言って、瞬は苦笑した。

本当は自分は、仲間たちとは無関係なところに存在するらしい自分自身の人生というものが、ただ不安なだけなのだということは、瞬にもわかっていたのだが。
瞬が本当に慣れていないのは、“ひとり”という状態だった。
瞬は、自分が“ひとり”になることに、胸が押しつぶされてしまいそうなほどの不安を覚えていたのだ。






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