「へーっくしょいっ!」
絵に描いたような──もとい、マンガそのものとしか言いようのないくしゃみを、星矢は城戸邸の客間に響かせた。
部屋中のものが──瞬を除いて──凍りつき、更にそれを溶かすために熱水蒸気でいっぱいになったラウンジは、もはや人間の住む場所ではなくなっていた。

「いいか! 俺はこんなことに巻き込まれるのは、もう御免だから言っておく。瞬!」
「は……はい……」

瞬の小宇宙のおかげで死の淵から生還した星矢の怒りは、無論、ラウンジの破壊などに向けられてはいなかった。
それは氷河でも瞬にでもなく、無用の親切心を抱いた星矢自身に向けられていた。

しかし、瞬には、星矢の怒りが何に向けられているのかなどということは、わかりようもない。
ただその剣幕に押されて、瞬は、憤怒の表情をした星矢の前で、ひたすら神妙にしていた。

そんな瞬を、更に声のボリュームをあげた星矢が怒鳴りつける。
「なんで、こんな簡単なことがわかんねーんだよ、おまえは! 氷河はおまえに惚れてんの! この馬鹿野郎は、おまえを押し倒して、助平なことしたくてうずうずしてるんだよ!」
「え……」

これでわからないなら豆腐は納豆だと言わんばかりの勢いでがなりたてた星矢に、図々しくも氷河がクレームをつける。
「星矢。おまえ、もう少しデリカシーのある言い方はできないのか」
「るせー。どう言ったって、事実は事実だろ! デリカシーだのデリバリーだのに気を遣ってたら、いつまで経ってもおまえのスケベ心は瞬には通じないし、いつまで待っても宅配ピザは俺の手元に届かねーんだよ!」

確かに、星矢の言う通りだった。
デリカシー皆無の、実に端的な星矢の説明で、瞬はやっと『押し倒す』の意味を理解したらしい。
その証拠に、瞬は真っ赤になって顔を伏せてしまった。

「でもって、氷河! 瞬は、おまえが自分のこと見ててくれないと、悲しくて夜も眠れないんだと! どう取り繕ったってスケベはスケベなんだから、自分のスケベ根性を隠して、いいカッコしようなんて無駄な努力は、即刻やめろよな! スケベはスケベらしく、思いっきりスケベなことして、瞬をくたくたに疲れさせて、瞬の不眠症を治してやれっ。以上!」

文法的には大いに問題があったが、星矢の日本語は実にわかりやすいものだった。
これだけ『スケベ』を連発されては、瞬も誤解のしようがない。

「あ……あの……氷河」
「なんだ」
「あ、ううん……何でもない」
「ん、そうか……」

「だーもーっ !! 」
氷河と瞬のじれったいやりとりに、星矢の小宇宙は爆発寸前だった。

「いいかっ! 今夜だ! いや、たった今だ! おまえら、すぐ瞬の部屋に行け! そんで、服脱いで、ベッド入って、突っ込み突っ込まれまくっちまえ!」

「星矢、だから、もう少し婉曲的な言い方を──」
星矢の脚を使い物にならなくしかけた手前、氷河も今ひとつ強く出ることができない。

それに反して、星矢は、氷河に対しても瞬に対しても遠慮会釈がなかった。
「やかましいっ! いいかっ、てめーの容赦のない凍気のせいでな! 俺は、へたすりゃ壊疽を起こして両脚切断する羽目になってたかもしれないんだぞ! ったく、下半身への攻撃にリキ入れやがって、俺をおまえと一緒にすんなよな!」

「それでも全身凍らされたのが幸いした。しかも、急速冷凍だったから、食品の新鮮さも損なわれなかったしな。瞬間全身フリージングで、体細胞が部分的異常を認識できなかったというわけだ」
冷蔵庫のフリージング機能の説明など、今の星矢にはどうでもいいことだった。
紫龍の懇切丁寧な解説に礼も言わず、星矢は、冷凍マグロ騒動の元凶である二人を怒鳴りつけた。

「早く行けーっ!」
「せ……星矢……」
「言う通りにするまで、おまえとは絶交だ!」
「そんな……」

敵に対しては際限のない怒りを燃やす星矢だが、彼は瞬に対してはいつも、むしろ穏やかでほがらかだった。
氷河に無視され続けていた時にも、何事にも屈託のない星矢が側にいてくれたから、瞬はその状況に耐えていられたのである。
星矢の激昂と絶交宣告に、瞬は当惑した。

そして、星矢の不幸な事故のもう一人の元凶である氷河はといえば。
『したくてしたくて仕方のなかったことも、他人に命令されるとやりにくい』という、大層なジレンマにとりつかれていた。






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