翌朝は晴天だった。
城戸邸の庭には、昨夜降ったはずの雨の名残りもなく、梅雨の季節にしては空気も乾いている。

十分な睡眠をとったとは言い難い瞬の体調は、だが、すこぶる良好だった。
部屋の窓を開け、夏の匂いを含み始めた朝の空気を室内に取り込むと、その窓を開け放したまま、軽い足取りで自室を出る。

階下にあるダイニングルームには、既に星矢と紫龍が来ていた。
彼等は、心身共に軽快な瞬とは対照的に、いかにも寝不足といったていで、それぞれの席に着いていた。

「どうしたの? 星矢も紫龍も、まるで徹夜でもしたみたいな顔してるけど……」
「どーしたの、だとぉー !? 」
『おはよう』よりも先に、瞬の口を突いて出た言葉に、星矢が噛みついてくる。
その語調の強さに、瞬は、反射的に息を飲んだ。
どう見ても、星矢は、瞬の朝の挨拶に腹を立てている──ようだった。

「おい、星矢……!」
まるで身に覚えのなかった瞬は、星矢の憤りに戸惑うことしかできなかった。
激昂気味の星矢をたしなめるように、紫龍が彼の名を呼ぶ。
それから、紫龍は、まるで場を取り繕うかのように、取ってつけたような作り笑いを、その顔に浮かべた。
「いや、その、何だ。夕べはいつもと勝手が違うことがあったから──俺も星矢も寝不足なんだ」

「勝手の違うこと……って?」
勝手の違う何か──。
いったい昨夜、星矢と紫龍の、どんな“勝手”が違っていたというのだろう?

瞬は、昨日、自分に特別な変化があったことは自覚していた。
しかし、それは、ごく個人的なことで──瞬ひとりだけに関わることで──故に、夕べ何かが“違っていた”のは瞬ひとりだけのはずだった。

もし星矢や紫龍の上に、自分とは違う何事かが起き、それが彼等を寝不足にするほどの心配事や大事件だったというのなら、瞬はそれを知りたかった。
そして、その解決のために自分に何らかの手助けができるのなら、瞬はそれをしたかった。
が、彼等の寝不足は、どうやら彼等の力になりたいと思っている瞬のせいだったらしい。

「おまえの小宇宙が、いつもと違ってたんだよ!」
星矢が、いかにも憤りを無理に抑えているような口調で、だが、きっぱりと言う。
その言葉に、瞬はきょとんとした。

ほとんど間を置かずに、紫龍が、星矢の説明不足の補完作業にかかる。
「あー……つまりだな。おまえの小宇宙は、普段は強弱の波がなくて割合に穏やかだろう。夜になると特に、気勢のない微小な小宇宙になる。いつも不安そうで、どちらかというとネガティブな小宇宙だ」

「……そんなことが、紫龍たちにわかるの」
そう言ってしまってからすぐに、瞬は、彼等にそれ・・がわからないはずがないのだと思い直した。
瞬自身、普段は意識していないだけで、意識しさえすれば、星矢や紫龍の小宇宙を感じ取ることができるのだから。

「──それが常態だったから、俺たちも、おまえの小宇宙がそんなふうだということに慣れていて、そのせいで眠れないということはなかったんだが……。だが、夕べのおまえの小宇宙はいつもと違っていた」
紫龍の口調は、決して瞬を責めている者のそれではなかった。
むしろ、彼からは、その状況を喜んでいるような様子が見てとれた。
「地に足が着いていないんじゃないかと思うくらい浮かれていて、嬉しそうで、楽しそうで、落ち着きがなくて──おまえのそういう小宇宙に、俺たちは慣れていなかったんで、面食らった」

「あ……」
責められているのではないことはわかるのだが、彼等の睡眠不足の原因が自分にあったのは事実のようである。
「ご……ごめんなさい!」
瞬は慌てて、星矢たちにぴょこんと頭を下げた。

紫龍が、謝罪を求めているわけではないのだというように、僅かに首を横に振る。
「いや、おまえのそういう小宇宙に慣れれば、俺たちも、そのうち違和感は感じなくなるだろう。不安で沈んでいるのよりはずっといいしな。──何かあったのか?」

「え……? あ……あの……」
探るように問われて、瞬は返答に窮した。

ちょうどその時、城戸邸に起居している4人目の聖闘士が、ダイニングルームに姿を現す。
「なんだ? みんな早いな」
「あ……氷河、お……おはよう……」

氷河に、何ということのない──それこそ、いつも通りの──朝の挨拶を投げかけられた途端、瞬は頬を真っ赤に染めた。
それから、そわそわと落ち着かない様子を見せ、視線をあちこちに飛ばし始める。

そんな状態を1、2分も続けたあとで、結局瞬は、その場から逃げ出すことにしたらしい。
「あ、僕、ちょっと用を思い出した」
「用……って、おい、瞬。おまえ、朝食はまだなんだろう?」
「あ……あとで食べる!」

それだけを言い残すと、瞬は、まるで何かに追い立てられているかのように素早く、仲間たちの前から姿を消した。






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